轍(わだち)〜その恋はお膳立てありき?
「ただいま〜」

返ってくるはずのない返事を待たずに、清乃は滑り止め付きのブーツを脱ぐと、リビングのソファにダイブした。

このマンションは、帰宅前に遠隔操作でエアコンのスイッチを入れることが出来るようになっており、帰宅した瞬間から暖かい空気が清乃を迎え入れてくれた。

正直、一般社員の寮にしては好待遇すぎると清乃も思っていた。

しかし、この2年と、過去2日を顧みるに、結構な無茶振りをされていることに気づき、

「衣食住くらいは保証されないと割に合わないわ」

と思い直した。

「その“衣食住”を全て満たしてあげた私に、まだなんか文句あるわけ?」

返ってくるはずのない返事が返ってきたことに驚き、清乃はうつ伏せの姿勢から顔を上げた。

「滋子」

「滋子様とお呼び」

滋子は、仁王立ちの状態から清乃に近づくと、清乃の両方のこめかみをグリグリしてきた。

「痛い、痛いんですけど、滋子様」

「あんた、私の準備したリムジン無視して歩いて帰ったでしょ?氷った地面で転んで手を怪我して絵が描けなくなったらどうするわけ?!」

一見、過保護で優しげに聞こえる発言だが、要するに金蔓である右手を怪我するな、と言いたいことはわかった。

「ああ、やっぱりあの黒リムジン、人斬り秘書が乗ってたのね。殺気が漏れてたもの」

「人斬り秘書って、春日(かすが)のこと?」

こめかみを擦りながらも“そうだった、春日という名前だった”と清乃は思った。

「それより、結局なんの目的で私はタカシさんに会わされたのかな?今の滋子の発言だと、仕事明けのご褒美的な?素晴らしい衣食住に加えて、俺様テンプレイケメンとのひと時をプレゼントしたってところなの?」

「はっ?!あいつ、何も言わなかったわけ?」


「あいつって、春日さん?タカシさん、どっち?」

「···だいたい把握したから、もういいわ」

こめかみ抑えながら呟く滋子に、こめかみを抑えたいのはこっちなのだが、というツッコミを抑えて、清乃はソファから体を起こした。

「滋子がいいなら、私もいいわ」

ハア、っという滋子のため息は、冷蔵庫に向かってウキウキと歩いて行った清乃の耳には届かなかった。
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