恋の仕方、忘れました

「お、一条」



二人きりの空間を邪魔するかのように聞こえてきたのは、紛れもなく課長の声だった。

その声を耳にした瞬間、私と主任の顔は同時にスンと真顔に戻る。



「成海に何か用か?ん?」



他の社員との会話が終わったのか、私の方へ体を向けた課長は、まるで私が自分のものかのように口角を上げながらそう言うと、さりげなく私の肩に手を置いた。

それを見逃さなかった彼は微かに眉を動かしたけれど、さすが主任、ポーカーフェイスを保ったまま「少し仕事の話をしてました」と平然と嘘を吐いた。



「こんなところに来てまで仕事の話なんかしなくてもいいのに。なあ成海?」

「え、ええ……」



反応に困った私は、顔を引き攣らせながら仕方なく頷く。

主任を悪者にして申し訳なく思ったけれど、きっと主任ならこの嘘は許してくれるだろう。


そう思いながら、ぱちりと視線が重なった主任に目で“ごめんなさい”を伝えると、意外にも彼の目は死んでいて“覚えてろよ”と訴えかけていた。怖い。



「課長の仰る通りです。成海、こんな場で悪かったな」

「いえ、そんな……」



主任は若干棒読みになりながらも私にそう告げると、そのまま前に向き直ってしまった。

その背中が名残惜しくてじっと見つめていれば、トイレから戻ってきた森岡君が「主任!主任は?!」と何やら騒いでいたけど無視しておいた。
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