紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「ああ、紗弥花さん、久しぶりですね」
 会議室前の廊下で声を掛けられた。
 真宮ホテルの格式を外さない程度にカジュアルなジャケットにリラックスしたチノパンを合わせた男性は、昔からの知り合いの和樹さんだった。
 私より五歳年上で、一橋財閥グループの御曹司。
 十代の頃の私が唯一会話を交わすことを許された男性だ。
「お久しぶりです」
 挨拶を返したものの、私はすでに和樹さんの隣に立っている頭一つ背の高い男性に目を奪われていた。
 ミディアムグレーのストライプスーツ。
 ――さっきのラベンダーの人だ。
 くっきりとした目鼻立ちに、意志の強さを象徴するような眉、つるりとした肌の頬には完璧な社交辞令を体現したかのような微笑が浮かんでいる。
 私がじっと見上げていたせいか、視線をそらすように相手が軽く頭を下げた。
「初めまして、久利生玲哉です」
「あ、は、初めまして。ま、真宮紗弥花です」
 こちらはさっき見かけていたからなのか、なんだか初めましてって感じでもなくて、おまけに見た目とさっきの仕草にギャップがありすぎて、なんだかぎこちない挨拶になってしまった。
 和樹さんが紹介してくださる。
「久利生さんは経営コンサルタントでね。企業法務を扱う弁護士でもあるんだ」
「そ、そうなんですか。すごいですね」
 私の当たり障りのない返事のせいで会話が続かず、廊下で三人が顔を見合わせた状態になってしまった。
 久利生さんが、ドアを開けて待っている宮村さんの方へ手を差し出して私たちをうながした。
「皆さんを待たせています。入りましょう」
「あ、すみません」
 初対面の人にまで何もできない人間だと思われてしまった。
 そのとおりだから仕方がないのだけど、そう見抜かれるのはやっぱり嫌だ。
 会議室にはすでにうちの会社の重役たちが席に着いていた。
 その真ん中に父と母がいる。
 父は社長には見えない地味なスーツで重役たちの間に埋もれているけど、筆頭株主である母は桜色のスーツでこの場を支配している。
「紗弥花さんはこちらへ」
 私は久利生さんから会社の人たちとは反対側に、和樹さんと並んで座るように指示された。
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