紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「ほら、どうぞ」
 先に作っていた分を私にくれて、もう一杯新しく作り直している。
「お先にいただきます」
 同じ機械の音がしているのに、なんだかダイニングキッチンが静まりかえっているような気がするのはなぜだろう。
 なにかしゃべらなくちゃって、焦ってる自分を意識すると、ますます言葉が引っ込んでしまう。
「猫舌なのか?」
 カップに口をつけない私を見て、玲哉さんが顎をさすりながら笑っている。
「あ、あの……」
「なんだ?」
 できあがったエスプレッソにフォームミルクをドボドボと足している玲哉さんに、さっき気になったことをたずねてみた。
「夜中に、起きてたんですか?」
「ああ、いつものことだ。日付が変わる頃にニューヨークのファンドマネージャーとネットでビデオ通話をするんだ。時差の関係で向こうは昼だからな」
「その格好でですか?」
「上にワイシャツだけ着たぞ。部屋は暗いし、カメラには上半身しか写らないからな」
 ああ、なるほど。
「真宮ホテル出資の件について、関心のありそうな連中にあたってくれるように頼んでみたのさ」
「あ、ええ……」
 ん?
 あれ?
「でも、もう契約は済んだんじゃないんですか」
「おいおい」と、玲哉さんがコーヒーを噴きそうになる。「破談にしようとしたのは、君じゃないか」
 そして、鼻の頭をこすりながらつぶやいた。
「俺も共犯だけどな」
 あ、そうか。
 こんな既成事実を作ってしまったら、当然結婚は破談だし、一橋家からの出資契約も破棄されるに決まっている。
 だから別の出資者を一から探し直さなければならなくなったのだ。
 自分がそう望んだくせに、いざ動き始めるとなんだか実感がわかない。
 玲哉さんにされたことだけは、すぐまた思い返してしまうのに。
 私は照れくささをごまかすためにカップを口に持っていった。
 深煎りコーヒーのいい香りがする。
「自由になりたいんだろ」
 ――え?
「あ、はい」
「俺は請け負った仕事は必ず依頼主に満足してもらえる結果を出す。そうやって信用を積み上げてきた」
「よろしくお願いします」
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