紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 リビングの窓には昼から変わらず雨が打ちつけている。
 暗い窓には東京タワーの照明がぼんやりと浮かび、白いパジャマ姿の私が映っている。
 梅雨の季節のジューンブライド。
 白いパジャマが私のウエディングドレス。
 新郎はお色直しの最中です、なんてね。
 新しい生活が始まることに不安はない。
 かといって、あの重苦しい空気の家から解放されたという喜びもあまり感じない。
 お母さんは今、どうしているんだろう。
 会社を救うために言いなりにならなかった私のことを裏切り者だと思っているんだろうか。
 一生許されないんだろうか。
 昨日までなら、それは恐怖でしかなかった。
 でも、今は怖くない。
 私は一人じゃない。
 支えてくれる人がいる。
 私の苦しみを理解してくれた人がそばにいる。
 大丈夫、怖くない。
 私は暗闇の中に浮かぶ自分に向かって暗示をかけていた。
 と、いきなりだった。
 私は後ろから抱きしめられていた。
 ――ひぁっ!
 それはとんでもない恐怖だった。
 大丈夫だと励まされていた時に、いきなりバンジージャンプの踏み台が抜けたような恐怖感だった。
 思わず崩れ落ちそうになった私を支えてくれたのは、いつの間にかシャワーから出てきていた玲哉さんだった。
「す、すまん。まさかそんなに怖がるとは思わなかったんだ。後ろに気づいていないみたいだったから、ちょっとびっくりさせようと思っただけなんだ」
 見上げる玲哉さんの顔がぼやけている。
 私は泣いていたらしい。
「大丈夫か?」
 うずくまった私に目線を合わせて玲哉さんが立たせてくれる。
「ごめんなさい。考え事をしていたから……」
 体が震えて声も出ない。
 そんな私を後ろから今度はそっと抱きしめてくれる。
 暗い窓に私と玲哉さんが映っている。
 自信に満ちたさっきまでの私はもうどこにもいなかった。
「すまなかった。家のことを考えていたのか」
 この人はすべてお見通し。
 隠しても心配させてしまうだけ。
 私は玲哉さんの腕に顎を乗せるようにうなずいた。
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