新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜
「フッ……。お前は……」
そう言って高橋さんは、今度は少し俯き加減になりながら微笑んでいる。
高橋さん?
な、何?
何かを言い掛けた高橋さんが、突然こちらに戻ってきて、いきなり耳元に顔を近づけた。
「お楽しみは、こ・れ・か・ら」
エッ……。
突然の予期せぬ言葉に、ソファーに座ったまま立ち上がった高橋さんを見上げると、意味深な笑みを浮かべながらウィンクをして、そのままバスルームへと消えて行った。
何なの? 『お楽しみは、こ・れ・か・ら』 って……。
放心状態のまま、バスルームへと消えて行く高橋さんの後ろ姿を、呼吸することすら忘れてただ視線で追うことしか出来なかった。

結局、高橋さんに絆されて私もシャワーを浴びているが、シャワーのノズルから出る熱いお湯よりも、今の自分の体温の方が高く感じられる。このまま急激な血圧の上昇で、倒れてしまうんじゃないかと思うぐらいドキドキしていて、シャワーのノズルを持つ手が心なしか震えているのが自分でも分かる。
バスルームから出ても緊張は解れぬまま、高橋さんが用意してくれていたドライヤーを借りて髪を乾かす。
このまま髪の毛が乾き切らないで、ずっとこの場所からリビングに戻りたくないような……。
心の準備だって出来てないし、でも戻らないと高橋さんが心配しちゃうし……。あれ? 心の準備って……。
うわっ。
何か、自分で何を考えているんだか、よく分からなくなってきている。
いろんな思いを張り巡らせながら、心許ない力でバスルームのドアを開けて、今にも震え出しそうな胸を着替えた服の入っている袋を押し当てて、ギュッと両手で抱えながらリビングへの一歩を踏み出した。
「此処に座って」
エッ……。
「は、はい」
高橋さんが缶ビールを左手に持って、ソファーに座りながら自分の右隣のスペースをポンポン!と右手で叩いて私に座るよう促している。
平静を装い、左足を庇いながらゆっくり歩いて言われたとおりソファーの高橋さんの右隣に座ると、高橋さんが持っていたビールの缶をテーブルの上に置いて私に向き直った。
「左足乗せて」
高橋さんが、左手で自分の膝を叩いている。
「えっ……」
咄嗟に少しだけ上半身を後ろに反らせて、高橋さんとの距離を無意識に作る。
「ほら、早く」
「キャッ……」
高橋さんが、右手で私の両足を持ち上げて自分の膝の上に置き、その反動で私の体勢を高橋さんの方へと向けさせた。
背中にはソファーの端の肘掛けがあるので、体勢は辛くはなかったけれど、何とも恥ずかしくて仕方がない。
きっと、私……。今、顔真っ赤だ。恥ずかしいな。
明良さんほどではないけれど、高橋さんも手早く左足首に湿布剤を適当な大きさに切って貼ると、包帯の巻き始める位置を決めた。
「それで?」
エッ……。
「何で、昨日よりも腫れが悪化したんだ?」
視線はそのまま足首を見ていたが、クルクルと左手で器用に包帯を巻きながら高橋さんが問い掛けてきた。
うっ。
まだ、話は終わっていなかったの……ね。
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