新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜
高橋さん。
「どうなんだ?」
人事の仕事は、私にとって……。
「はい。とてもプラスになりました」
「そうか。それなら、それでいい」
エッ……。
「どんな場所でも、どんな仕事でも、時に不満があったとしても、人として働けることに誇りがあれば、たとえどんな環境にあっても、それはいずれ自分のためになる。俺は、それをお前に分かって欲しかった」
高橋さん。
ああ、駄目だな。目先のことばかりに囚われて、本当に高橋さんが私に伝えたかったことが、今の今まで分からなかったなんて。
「ごめんなさい。私……」
「泣くな。言っただろう? 俺は、泣かれると辛いって」
「だっ……」
次の瞬間、ベッドの縁に座っていた高橋さんが、覆い被さるように私を抱きしめていた。
高橋さんの鼓動が聞こえる。ということは、私のこの破裂してしまいそうな心臓の音も聞こえてしまっているかもしれない。
どうしよう……。上手く呼吸が出来ない。
「高橋……さん?」
「黙って」
エッ……。
高橋さんの声が、直に私の胸に響いていた。
な、何?
「これで、ヨシ!」
エッ……。
「あ、あの、高橋さん? 今、何をしたんですか?」
身体が離れて、またベッドの縁に座り直した高橋さんに問い掛ける。
「ん? おまじない?」
はい?
「おまじない……ですか?」
「そう。俺は向こうの部屋で寝るから、ゆっくり休め。ああ、さっきシーツとカバー換えといたから綺麗だぞ」
嘘。
「あの……。それでしたら、私がその……向こうの部屋で寝ます」
慌てて起きあがろうとしたが、高橋さんに制止された。
「こっちのベッドの方が、お前の足に負担がかからなくていいから」
高橋さん。
そんなことまで、考えてくれていたの?
「でも……」
「いいから、早く寝ろ」
「高橋さん」
うわっ。
立ち上がろうとした高橋さんを呼び止めると、いきなり高橋さんがまた私の両肩の脇に両手を突いて、思いっきり顔を近づけた。
ち、近いです。近過ぎですって、高橋さん。
「いい加減、言うこと聞かないと、本当に襲うぞ」
「ひっ……」
不敵な笑みを浮かべながら高橋さんの顔が間近に迫っていて、思わず目を瞑った。
「フッ……。おやすみ。いい子に」
そう耳元で囁いて髪にキスをすると、高橋さんはベッドから立ち上がって部屋から出て行った。
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