おとなり契約結婚〜幼馴染の小児科医が推しを盾に結婚を迫ってくる件〜
香月のことを思い出しジワリと涙が滲んできた千春はキャロルから慌てて逃亡した。入口まできておいて店の中に一歩も入らないなんてことは初めてだった。
(こんなことで離婚できるのかな……?)
もはや千春は星川恵流の引退よりも香月との離婚に心を占められている。
香月への恋慕の情を長年抱いてきた千春にとって、すべてを捨てるのは過酷だった。それでも捨てなければならない。だって香月は千春のことが好きでもなんでもないのだから。
(今日はもう帰ろうかな……)
千春はハンカチで目元をそっと拭った。
買い物する気がすっかり失せてしまい、駅に向かう。人混みの中をゆっくり歩いていると、街中で誰かが叫んでいるのが聞こえた。
「加賀谷さん!」
まさか、自分の名前が呼ばれるとは思っておらず、その場に立ち止まる。辺りを見回すと駅の方角から誰かが真っ直ぐ走ってきた。
「よかった!やっぱり加賀谷さんだった。私服だったから間違ってたらどうしようかと思った」
「仙堂さん……?」
いつものスーツではなく、チノパンにダウンジャケットのラフな格好だとまるで別人のようだったが、気さくな人懐こい笑顔は間違いなく仙堂のものだった。