愛しのディアンヌ
 そんなことを考えながら、籠を提げたまま救貧院の脇を歩いていた。右手に運河か流れている。石の塀に沿って東側へと歩いていくと、廃兵院の高い塀に突き当たる。運河では、木材や果物を乗せた平舟が行き交っている。

 釣りに興じる人達の姿も消えている。静かな夕刻。剪定鋏を持ったまま中腰の姿勢で種子だけを丁寧に採取していると、、後方で小石を踏みしめたような硬い音が鳴った。

 何かが近寄って来た気がした。座ったままの姿勢で振り向いていく。

 誰? 逆光のせいで誰なのか分からなかった。五十歳ぐらいの貧しげな男。そいつは小さな茶色の瓶を握っている。

 妙だ。おかしい。嫌な予感がしたが脚が痺れて動けない。

 相手に背中を向けたまま起き上がる。その刹那、焼け付くような痛みを感じたのだ。悲鳴をあげていた。

「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 首筋がジュワッと熱かった。薬品の不快な臭いが鼻について吐き気を催してしまう。歯を食いしばり必死の思いで起き上がる。

 右側の肩と首筋に激痛が走った。でも、肩掛けの鞄を奪われまいと抱きかかえた。

 私は懸命に叫ぶ。

「トロボーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 すると、土手の上の小路にいた野菜売りの老人が土手から駆けつけた。眼下にいる私の悲鳴に気付いたらしい。老人の姿を見た男がチッと舌打ちして東側に逃げ出していく。痩身の老人が心配して覗き込んでいる。

「おまえさん、どうしたんじゃい?」

「泥棒みたいです」

 ここら辺はアヘン中毒の輩がいたり頭のおかしい人がいる。

「坊やは、犯人の顔は見たのかね?」

「顔は分かりません。灰色のフェルトの帽子を深くかぶった痩せた男でした」

「おや、妙な匂いがするぞ 何か液体がかかっとるぞ。おまえさん、火傷しておるぞ」

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