愛しのディアンヌ
「可愛いディアンヌ、聞いてくれないか。あんなものは無視してくれ……」

 鼻先を寄せてから、クシュッと微笑みながら囁いている。切なげに目を揺らしている。懇願する声音がドキッとする程に艶っぽかった。私の額に軽くキスを落としてから彼は哀しげに呟いた

「お願いだから、あいつらとは関わらないでほしい」

 私は、彼の腕の中で真っ赤になっていた。

「こ、これ以上はいけません。あの、や、やめて下さい」

「ああ、分かってるよ」

 軽やかにスッと身を話している。彼は無理強いはしない。でも、既に、恋の旋律が私の身体に刻まれている。胸がドキドキしている。いつのまにかルイージがピアノで演奏している。

 甘美な協奏曲。二人で奏でる愛の愛の歌ほど素晴らしいものはこの世界にない。私は、そう感じながら聞き惚れていたのだ。

            ☆

 しかし、恋にかまけている暇はない。

 それは学校の帰り道でのことだった。家の近くの三叉路で荷車を押している物売りの少年がいた。

 私は、オレンジを今夜の料理のソースにしようと思い立ち近寄っていた。すると、手押し車を押していた少年が帽子を脱いで飄々とした顔で挨拶した。

「 どこかで見たような顔である。少年を見た瞬間に、あの日、警察署にいたブルーノだと気付いて嬉しくなった。向こうも、鼻先にシワを寄せながら照れ臭そうな顔をしている。

「やっと気付いたか。久しぶりだな」

「あなたはブルーノね。元気そうで良かったわ。いつも、ここで商売しているの?」

「おいらの縄張りなのさ。お姉ちゃん、あの時はありがとう。助かったよ。お姉ちゃんがいなけりゃ、とっくの昔にくたばってたぜ」

 この子は私が女だと知っているのよ。だって、あの日、介抱していると不思議そうに言ったのだ。

『なぁ、女なのに、なんで男の格好してんだよ。何か訳があるのかよ?』

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