あなたの傷痕にキスを〜有能なホテル支配人は彼女とベビーを囲い込む〜
 翌朝。
 スーツを着こなし、使い込まれたトランクを用意している恋しい人の姿に半身がちぎられるような痛みを感じた。

 慎吾がいなくなる。
 そう思うだけで足元の地面がなくなった心地がして、うまく立てない。

 慎里が自分と慎吾を交互に見ては不安そうにしているのに、励ましてやれないなんて、それでも母親か。 

 しっかりしろ、たった数週間前までは自分と我が子の二人だけだったではないか。 

 自分を叱り飛ばそうとしても、体に力が入らない。
 こんな体たらくでは、慎吾だって心配だろうに。

「行ってくる。なるべく日本時間の夜九時には連絡を入れるよ」

「うん。慎吾、気をつけてね」

「里穂も」

 慎吾は、なんとか笑みを浮かべた彼女の唇すれすれに口づけた。

「俺がいない間、俺のこと考えていて」

 真っ赤になった里穂の腕の中からあー、と慎里が父親に向かって手を伸ばす。

「慎里と会えないのって病院に連れて行って以来、初めてだ」

 慎吾も寂しいのだろう。我が子を撫でる手が止まらない。

「俺、二人がいなくて泣いちゃうかもしれない。夜の九時、絶対連絡するから」

 慎吾の言葉に、里穂がようやく心から微笑むと。

 それまで溜まっていたものが決壊したのだろう、息を吸い込む前動作なしで慎里がいきなり泣き出した。

 うわああああ、と最初から大爆発である。
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