雪降る夜はあなたに会いたい 【上】


「――おいおい、ソウスケ。いなくなったと思ったらこんなところで何やってんの」

別の人間の声がして。こんなところを他人に見られていたのかと思うと、恥ずかしくて全身から火が出そうになる。

たった今、自分がされていたことの意味すら私の中で消化できていない。呆然として目の前の男を見上げれば、何故か、先ほどまでの冷たく見下したような表情が崩れていた。

鋭く切れ長の目が、大きく見開かれている。一瞬不思議にも感じたけれど、それを深く考える余裕なんてない。

「あーあ。この子泣いちゃってるじゃない。ちょっと物珍しい玩具(おもちゃ)を見つけたからって、こんないたいけな子で遊んじゃだめだって」

先ほど近くにいた軽薄そうな男だ。
震えの止まらない肩を必死で抱く。早く逃げ出したいのに立っているのもやっとだった。

「――うるさい。おまえには関係ない。俺のすることに口出すな」

有無を言わさぬような低く威圧的な声に、その軽薄そうな男はそれ以上何も口を挟まずさっさと立ち去った。

そうして再び二人になる。

 長身の身体がゆっくりと距離を詰めて来ようとする。後ずさったところで、ドアが邪魔してどこにも行けない。強く掴まれた腕のあまりの痛さに、悲鳴を上げそうになった。

「たかがキスくらいで、そんなに怯えるなよ。俺がどうしようもない悪人に見えるじゃねーか」

さっきの崩れた表情は消え去り、冷たい微笑が私を嘲る。

「女にキスして、目一杯突き飛ばされるなんて初めてだ。たまにはいいな、こういうのも」
「い、一体、何を言って……」

必死に動かしているつもりでも、この唇はカタカタと震えて。

「アンタのこと、気に入ったってことだよ。俺のモノになれ」

ぐいっとさらに腕に力を込められて、強引な視線が間近に迫る。

「ど、どうしてそうなるんですか? 今日会ったばかりの、それも、あなたみたいな人、私とは関係ない人です。からかわないでくださいっ!」

こうやって一体何人の女を自分思う通りにしてきたのだろう。次第に、恐怖より怒りの方が大きくなって、自分に力が湧いて来るのに気付く。必死に目の前の男を睨み返し、「このドアを今すぐ開けて」と叫んだ。

「……まあ、いい」

なのに、私の言葉なんてまるで意に介さない。蔑むような笑みがさらに近付いて来る。異性とこんな距離感で接したことなんてない。思わず硬く目を閉じた。

「今日のところは帰してやるよ。でも、俺に逆らうなんて許さない」

耳元から入り込む心の奥底まで揺るがすような低い声に、身体が固まる。
それが恐怖だけが原因ではないような気がして、そんな自分が怖い。

 逃れるようにその男に背を向けると、背後から腕が伸びてドアを開錠した。

「……じゃあ、またな」

余裕の笑みでも浮かべていそうな声が聞こえたけれど、開いたドアの隙間から飛び出した。

 やっとの思いで地上に下りて来ると、外はまだ雨が降っていた。傘をあの部屋に置いて来たことに気付いて、大きく息を吐く。

どうして、こんなところに来てしまったんだろう――。

唇にまだ残る冷たい感触のせいで、思わず自分の唇に手を当てる。初めてのキスだった。会ったばかりの誰かも分からない男とそんなことをしてしまうなんて。あんな風に抱き寄せられたのも、間近に見下ろされたのも、何もかもが初めてのことだ。収まらない胸の鼓動と、自分でも掴みきれない感情に戸惑う。

 あの男にすれば、こんなことただの気まぐれ、退屈しのぎのお遊びなのだろう。六本木の街のショウウインドウに映る雨に濡れた自分が、いつも以上にみすぼらしく惨めに見えた。


 次の日の授業に、私をパーティーに連れ出した子は来ていなかった。そのことにどこか安堵している自分がいる。

もう、昨日のことは忘れてなかったことにしてしまいたい。強くそう思うのに、腕の力の強さと生々しく残る唇の感触がそうさせてくれない。

お願いだから、全部記憶から消して――。

そんな願いは虚しくも打ち砕かれた。

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