雪降る夜はあなたに会いたい 【上】


 アルバイト先へと向かうために、大学の正門を足早に出た時だった。

 車のクラクションが激しく鳴り響いている。大学の正門前には、いつも高級外車が並んでいた。もちろん、そのどれも私とはまったく関係がない。特に気にすることもなく通り過ぎると、もう一度クラクションが鳴った。そのけたたましさに振り返れば、黒い車から出て来るあの男の姿があった。

「アンタだよ。アンタ」

前日の恐怖が身体に蘇る。
どうしてその姿がそこにあるのか。動揺してしまいそうな自分を必死に抑え、無視してまた歩き出した。

「俺がわざわざ出向いて来てやってるのに、無視するなんていい度胸だな」

車から降りて来た男に進むべき道を遮られ、仕方なく立ち止まる。身長差と睨むよな視線の威圧感に怯みそうになる。

「そ、そんなこと言われても、あなたがどんな人かなんて、私は知らないですから」

ソウスケという名前だということ、金を持っていそうだということ、そして女を物みたいに扱って遊んでいる悪い男だということ。それしか知らない。

「……そうか。アンタ、俺のことを知らないのか。それならそれでいい」

何故か嬉しそうに笑う男に、怪訝な目を向ける。

 とにかくこの人とはもう関わり合いたくない。目の前に立つ男の横をすり抜けた。追いかけて来ないことにホッとしていると、再びクラクションが鳴り出した。つい見回してしまうと、それはあの人で、何度も何度も鳴らし続けている。

「車に乗るまで、いつまでも鳴らし続けるぞ」

車から身体半分を出して大声で叫んでいる。通行人や正門を出る学生が迷惑そうに黒い車を睨みつけているというのに、止めようとしなかった。

 私の方が耐えられなくなって、仕方なく助手席に乗り込んだ。思っていた以上にシートに深く沈み込み、慌てて腰を浮かせる。

「どうして、こんなことするんですか? あなたなら、いくらでも釣り合う女の子がいるでしょう。からかうのもいい加減にしてください!」

結局、この男の言いなりになっていることに苛立つ。

「言っただろ? アンタは俺のモノにするって」
「それはあなたが勝手に言っているだけで――」

不意に近付いて来た身体に、昨日のことを思い出す。あまりの至近距離に思わず目をぎゅっと固く閉じた。
クスクスと笑う声がして恐る恐る目を開けると、触れそうで触れないギリギリのところを男の顔が掠め、私のシートベルトを装着している。

「どうした? またキスされるかもって期待したのか?」
「ちがっ――」

慌てて反論しようにも、その身体は運転席に戻っていた。

「どこに連れて行くつもりですか? もう話は終わりました。私降ります!」

目の前の男の考えていることが一つも分からなくて声を上げる。

「少し静かにしろ」

冷たく言い放たれて身体がびくつく。
こんな時どうしたらいいのかなんて、何の経験もない自分には全然分からない。途方に暮れて、虚しさが襲って来る。

「……お願いです。私、これからバイトがあるんです。休むわけにはいかないんです」

膝の上のバッグを握りしめる。今にも泣いてしまいそうなのを必死にこらえながら訴えた。

「……どこだ」
「え……?」
「だから、バイト先だ」
「どうして……」

どうして、そんなことを聞くのか。

「送ってやるよ」

前を向いたままの男の横顔を、無言のまま見つめてしまう。

「そんな、信じられないような目で見るな。ちゃんと送って行くから場所を教えろ。庶民は労働しないといけないんだろ?」

その時見せた、少し表情を緩めたただけの不完全な微笑みは、昨日見た表情のどれとも違っていた。
その声音に、ほんの微か柔らかさが滲んでいる気がして。微かでしかないものに、この心は激しく揺さぶられた。

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