神殺しのクロノスタシスⅤ〜前編〜
着ていく服は、これで決まったけれど。

ハートの女王の心配事、下らない相談事は、まだ終わらない。

「あぁ…どうしましょう、どうしましょう」

「…今度は何ですか」

まだ何か、気になることでも?

「舞踏会は久し振りなんです。上手く踊れるでしょうか?」

「…」

…あなた、女王の癖に。

「少々躓いても、誰もあなたのことなんて見ていませんよ」

「でも、誰かが見ているかもしれないじゃないですか。ハートの女王ともあろう者が、踊りを間違えたなんて言い触らされたら…私、恥ずかしくて皆さんの前に立てません」

そうですか。

あなたにとっては、重要なことなのかもしれませんが。

私にとっては、非常にどうでも良い悩みですね。

まぁ、人の悩みなんてそんなもの。

悩んでるのは自分だけで、他人にとってはどうでも良いことでしかない。

他人の悩みより、明日の空模様の方が気になる。そういう生き物です、人間は。

「そんなに自信がないなら、壁の花になって、踊らなければ良いのでは?」

「だって、誘われれば踊らない訳にはいかないじゃないですか。私は女王なのに…」

女王だからこそ、断る権利があると思うんですが。

随分と腰の低い女王ですね。

『不思議の国のアリス』の原作では、ハートの女王というのは、我儘で高飛車なキャラクターとして描かれていたような気がするのですが。

今私の目の前にいるハートの女王は、劣等感の塊みたいな人物ですね。

原作とのギャップが激しい。

「なら、『今夜はあまり気分が優れないから』と言い訳をしては?」

「え?でも、それって、皆さんに嘘をついて騙すってことですよね?」

「そんな大袈裟な。嘘も方便でしょう」

「女王である私が、嘘をついて皆さんを騙す訳にはいきません」

自分に自信はない癖に、威厳だけは人一倍とは。

そんなに女王としてのプライドがあるなら、着ていく服くらい、自分で選んでは?

はぁ、面倒臭い。

「本番前に不安になるくらいなら、普段から練習をしておくべきでしたね」

「うぅ…それは…」

何の準備も対策もせず、本番前になっておたおたするとは。

試験勉強をしていない生徒のよう。

普段からやることをやらず、本番前にギャーギャー騒ぐような馬鹿は。

いっそ盛大に赤点を取って、嫌と言うほど補習授業でこってり絞られれば良いんです。

自業自得、己の怠惰の報いというものだ。

「それに…心配なのは、踊りのことだけじゃないんです」

「…まだ何か?」

「私、お酒が飲めないんです」

…ハートの女王、下戸。

「…それが何なんです」

別に良いでしょう。下戸でも。

あなたはおとぎ話の女王様なんだから、酒など飲まず、ぶどうジュースでも飲んでいれば良いのでは?

「でも、乾杯するときの一杯は飲まないといけないですし、その後も…お客様から勧められるんです」

お酒を飲まないか、と?

アルコールを飲めない人に、無理にお酒を勧めるなんて、アルハラじゃないですか。

「断ったら、先方は嫌な思いをするでしょう…?あぁ、どうしましょう…」

「…」

…そこまで不安なら、いっそ舞踏会など開かなければ良かったのでは?

自分が主催しておいて、一体何を言ってるんだか。
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