僕の月

第1話

「ねえ、聞いてる?三崎君。おーい、三崎君ってば。」
「あ、ああ。聞いてるよ。」
「もう。絶対聞いてなかったよね?私、今日はもう帰るね!じゃあまた。」
あれからもう二か月がたった。僕はまだ立ち直ったわけでは無かったが、彼女と話すうちになぜか自殺しようという気持ちは薄れていった。だが彼女はどうなのだろう。あの日から立ち直れたのだろうか。何があったのかは知らないけど、僕の存在が少しでも心の支えになっていてほしい。いつの間にかそう考えるようになった。
一年の修了式も終わり春休みに入り、僕は初めて冬樹の墓参りに行った。本当は僕の顔なんて見たくないかもしれないけれど、どうしても謝りたかったのだ。突き飛ばしてけがをしてしまった事。連絡を無視してしまった事。そしてあの日、冬樹に会いに行かなかったこと。まだ沢山ある、後悔の数々。
電車を降りて、冬樹の墓に行く途中の道に、よく二人で寄った本屋がある。そこで冬樹の好きだったシリーズの続刊を買い、墓に供えた。花よりそっちのほうが喜ぶと思ったから。
「冬樹、ごめん。」
僕は冬樹が眠る冷たい石に額を当てた。そして、また来るよと言って墓を後にした。
帰り道、ふと回り道をして帰りたくなりしばらく歩いていると、五百メートルほど先に展望台があると書かれた看板を見つけた。僕はそこで少しゆっくりしてから帰ることにした。
急な坂道をぬけた先の、少し道が開けたところにその展望台はあった。ぱっと見た感じどこにでもあるような展望台だ。ベンチと屋根があったから、そこに腰かけて夕方になるまで何もせずぼーっとしていた。鳥の羽音でハッとして我に返り、そろそろ帰るかと立ち上がった時だった。
「三崎君?」
聞きなれた声がしたもので後ろを振り返ると、そこにはやはり沙夏が立っていた。
「相沢さん。何でここに。家、この辺だっけ。」
「いや、電車で一駅くらいだけど、よく来るんだ。ここ。めっちゃ偶然だね。」
声には出なかったが、内心すごく驚いていた。どんな確率だったらここで相沢さんと会うのだろう。
「三崎君こそ、ここよく来るの?」
「いや。初めて来たよ。近くに用事があって、たまたまここにたどり着いた。」
「ええ、それってさ、やっぱり運命じゃん!」
「何言ってんだ。」
いつも通りに返したが、ちょっと嬉しかった。屋上で話すだけだった彼女と学校外でこうやって会うなんて想像すらしていなかったから。
「もう帰るの?」
「ああ。」
「ええ、今からが絶景なのに。もうちょっと話していかない?せっかく会ったんだし。」
彼女を一人でここに残していくのも少し気が引けると思った僕は誘いに乗って暗くなるまでここにいることにした。話すといっても、ほとんど沙夏の話を聞いているだけなのだが。友達の話や、僕が知らないクラスのやつの情報。先生たちの話なんかも沙夏はよく知っていたから、普段他人に興味がない僕でも、沙夏の話を聞くのは面白かった。
「あ、そろそろだよ。ねえ、あっち見て。」
そう言って彼女は暗闇を指さした。瞬間、僕は息をのんだ。海沿いにある工場街の灯りが一斉に点き、真下に見える森の街灯が遠くからだんだんとこちら側にかけて灯っていく。それは光の雨が降っているようにも見えたし、なにか神秘的なものがこちらへ迫ってくる光景にも見えた。美しいその景色を冬樹にも見せてあげたかった。
「ね、綺麗でしょ。」
「ああ。綺麗だ。」
「ふふっ。」
僕はしばらくその景色から目が離せずにいた。
「ここは、私の思い出の場所なんだ。」
少し寂しそうにそうつぶやく彼女。何か思い入れがあるのだろうか。もしかしてそれが自殺しようとしていたことに関係あるんじゃないか。いや、勝手な想像はやめよう。
「よし。じゃあ帰ろうか。あっ、そうだ。三崎君のメアド教えてよ。せっかく仲良くなったんだし、今度一緒にでかけない?」
「いいよ。」
なぜか彼女に言われると、断れない。冬樹もそうだった。あいつの頼みは、なぜか断れなかった。冬樹と似ているからか、僕は彼女に少しづつ心を開いていった。

「お待たせ!」
「うん。行こうか。」
連絡先を交換してからすぐ、彼女から連絡があり二人で出かけることになった。彼女がずっと行きたかったという最近できたテーマパークに行った。朝の九時に駅で待ち合わせをして、開園と同時に僕たちは入場した。そこからはもう、完全に相沢さんのペースだった。絶叫系の苦手な僕は、はしゃぐ彼女を尻目に真っ青になっていた。そんなことはつゆ知らずといった様子で、次のアトラクションを決め、早く早くと僕の腕を引っ張る。こんなインドア野郎を引っ張り出すよりも、彼女にはもっと気の合う友達が沢山いる。なぜ僕なのか、聞いたところで彼女はおそらく適当な理由で返事をするだろう。そして何より僕にとって彼女と一緒にいる時間はとても楽しかったし、辛いことを忘れられた。
「あ!見て、あっちくまの着ぐるみがいる!可愛い!行ってみよう。」
「次のアトラクション、行くんじゃなかったの。」
「いいからいいから。」
「はいはい。」
無邪気な彼女を見て、思わず笑みがこぼれた。
「え、三崎君、笑った?」
「は、いや笑ってない。気のせいだ。」
「嘘だ。今笑ってたよね。初めて見た。私、三崎君の笑った顔、好きだな。仏頂面してるから怖いんだよ。はい、笑って。」
そういって僕の頬をつまんで横に引っ張る。顔がかっと熱くなる。笑った顔が好きだなんて、誰にでも言うのだろうか。彼女は僕自身を受け入れてくれている。そんな気がした。
「あっ、照れてる。あからさまに目、そらしてるよね。」
「君はほんとに思った事全部口に出すよね。よくないと思う。」
「なんだよー、照れてるくせに。」
楽しそうに笑う彼女を見て、なんだかこっちまで楽しくなる。互いに目を合わせて笑いあった。こんなに誰かと笑ったのは、いつぶりだろうか。

「ねえ。三崎君はさ、あの時本当は屋上に何しに来たの。」
「唐突だね。」
「ずっと気になってたんだけど。」
帰りに相沢さんおすすめのカフェであの日の話になった。
「たまたまだよ。本当に。相沢さんが見えたからっていうのは嘘だけど。何となく気を晴らしたくて、屋上の風に当たりに行ったんだ。」
「へえ、そういうことにしとく。」
「そういう君こそどうなんだ。」
「んー。やけくそになったから、かな。今思えば馬鹿なことしようとしたなって思ってるけどね。それに、三崎君と話すようになってからちょっとだけ気が楽になった。」
「そうか。それならよかった。何かあったら、僕に話してくれ。話せる範囲でいいんだ。」
「うん。ありがとう。優しいね。」
違う。僕は優しいんじゃない。あの後悔を二度と繰り返さないように、相沢さんで罪を償っているつもり、自分のためだ。僕は気づけば歯ぎしりしていた。この癖は、冬樹が死んでからついた。結局十年たっても治らなかった。
「三崎君。大丈夫?」
「ああ。すまない。それよりも、もう暗くなってきたからそろそろ帰ろう。下の子たちがいるんだろう。」
「そうだね。帰ろうか。今日はめっちゃ楽しかった。また行こうね。」
「うん。」
そこから駅まで少しだけ歩いて別れた。
家に帰りついてしばらく、ベッドにあおむけになり天井を眺めていた。さっきまでの出来事が嘘みたいにしんと静まり返った僕の部屋。遠くから救急車のサイレンが聞こえる。それを聞きながら僕は深い眠りについた。柄にもなくはしゃいでしまったせいで、疲れていたのだろう。しばらくしてガチャリと玄関のドアが開く音で目が覚めた。薄暗い部屋で、月明かりに照らされた机には、あの時から何も進まない原稿が置いてある。時計は夜中の三時をさしていた。この家にこんな時間に返ってくる奴は、あいつしかいない。いつもは全く帰ってこないどころかここ数年顔もあわせていなかったが、最近は自分の書斎で探し物をしているのを何度か目にした。のどが渇いていたから、何か飲もうと一階のリビングへ降りた。冷蔵庫に作っておいた麦茶をコップに注いで、一気に飲み干した。それからゆっくり階段をのぼり、ドアノブに手をかけた時だった。
「宗一郎。起きてたのか。」
「あんたが帰ってきた音で目が覚めた。もう寝る。」
こいつの書斎は二階にあるから、なんとなく嫌な予感がしていた。
「ちゃんと着替えてから寝ろよ。」
「余計なお世話だ。」
「待てよ。これ、懐かしいだろ。」
そう言って何かを差し出してきた。
「なんだこれ。」
それは一枚の写真だった。十年前、この人が芥川賞を受賞したとき、そこに僕もついて行った。その時、この人と一緒に撮った写真だ。自慢の父親だった。たくさんの人から称賛されるのを見て、この人みたいになりたいと思ったのだ。それで僕は小説家を目指すようになった。
「懐かしいな。このころは父さん父さんって甘えてきてくれて、一緒に物語を作ったことだってあったな。また父さんって呼んでくれても良いんだぞ。」
「黙れ。お前のせいで母さんは。僕は、あんたが憧れだったのに。」
「すまなかった。だがあれは、」
「もういい。何も聞きたくない。」
僕は、自室のドアを勢いよく閉めた。いつの間にか手に握りしめていた写真を壁にたたきつけようとしたが、しわを伸ばして原稿の隣に置いた。ベッドに倒れこむようにしてうつぶせになり、再び眠りに落ちた。

「ねえ、母さん、父さんはすごいね!あんなにたくさんの人から囲まれてすごく人気者だ。」
「そうねえ。お父さんはね、ここにいる人たちだけじゃなくて、もっともっと大勢の人の心を動かすお仕事をしているのよ。そして今日は、それが皆に認められた日なの。きっとお父さんもとっても嬉しいはずよ。ほら、見てあの顔。あなたとそっくりな笑顔で笑っているわ。」
「僕、父さんに似てるの?」
「そうよ。ほんとうにそっくり。親子だものね。」
「じゃあさ、僕も父さんみたいになれる?」
「ええ、もちろんなれるわ。大きくなったら、お父さんよりもっとすごい人にだってなれるのよ。だから、あなたのやりたいことを一生懸命頑張りなさい。お母さん、いつも見てるからね。」
「うん!分かった。」
「宗一郎、来てたのか。」
「うん!僕ね、父さんみたいになりたい。いつか父さんよりもっともっとたくさんの人の心を動かすような小説家になるんだ。」
「そうか。頑張れよ。父さん、応援してるからな。じゃあ、これ持って一緒に写真でも撮るか。親子で芥川賞作家になるんだもんな。」
「うん!」

ガシャンッ。
「どうして。昨日は宗一郎の誕生日だったのよ。早く帰ってくるって言ったじゃない。」
「仕方ないだろう。俺は忙しいんだ。昨日は急にお偉いさんに呼ばれたんだよ。」
「嘘よ。私、知ってるのよ。あなたが毎日どこにいるかなんて。」
「嘘じゃない。」
「見たのよ。この前あなたが、女とホテルに入っていくところ。一回じゃないわ。何回も見た。もう限界よ。帰ってくるたびに知らない香水の匂いがするんだもの。」
「だから、それがお偉いさんだよ。何もないし、二人っきりってわけじゃない。俺の小説を読んでくれている人たちなんだ。」
「信じられない。」
「父さん、母さん、何やってるの。」
「ああ、ごめんね。起こしちゃったね。大丈夫よ。ほら、あっちいってて。」
「でも、父さん、足から血が出てるよ。」
「大丈夫だよ。あっちいってなさい。」
「分かった。」

僕はそこでハッと目が覚めた。嫌な夢だ。そうやって年々喧嘩が増えていって、母さんはストレスからある日倒れた。僕が小学二年のときだった。病院で検査すると腫瘍が見つかった。幸いまだ初期のものだったため、手術をすれば命に別状はなかった。ただ、かなり難しい手術になると聞かされた。手術の日、僕は学校を早退して、家に母さんの着替えを取りに帰った。そこで見てしまったのだ。書斎であの男が秘書らしき女と、抱き合っている姿を。母さんがあんたの支えを必要としているときに、違う女といた。許せなかった。思えば入院中もこの男が見舞いに来た姿を一度も見たことがない。その日からだ。少しだけ抱き始めていた劣等感に火が付き、憎しみへと変貌したのは。この人みたいにはなりたくないと思った。だが小説を書くことは好きだった。だから趣味程度には書いていたし、一度はまた小説家への道を歩もうとした。
この日僕はまた、冬樹の墓参りに行った。
 
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