突然、あなたが契約彼氏になりました
可愛いという言葉を無駄に連呼しているが、田中に胡散臭さを感じているせいもあって、こういうふうに告白されても迷惑である。
「そ、そういうのやめて下さい。彼氏がいますから」
よし、言ってやった。ここまで突き放したなら、さすがに降参すると思ったのだが……。田中は暗い顔つきで不吉な言葉を呟いている。
「菜々ちゃん、オレ、小塚と同じ高校に通ってたんだ。悪い噂を聞いた事があるんだよ。あいつ、高校生の頃に傷害事件を起こしてる。そんな奴と結婚したりしたら、菜々ちゃんの天国の御両親が悲しむよ。きっと、あいつ、DVをやっちゃうタイプだよ」
感情の嵐とは無縁に見える小塚が暴力沙汰ですって? 今は、そんな事よりも気になることがある。
「田中さん、どうして、あたしの両親が亡くなっている事を知っているんですか?」
田中は熱心な口調で呟いている。
「好きだから、菜々ちゃんのこと調べたんだよ。菜々ちゃんのお母さんは売れっ子の漫画家の藤村霞先生なんだよね。代表作の『エデンの園で待っていて』は映画化もされたよね。あれは詩情豊かで切なかったな」
両親と夫を亡くした事は人に話しているけれど、母親が人気漫画家だった事は徳光さんにさえも黙っている。それをこの人が知っているなんて……。
「オレさぁ、小学校の通学路に大きな三階建ての豪邸が建っていたから知ってるんだよ。今、あの豪邸は人に貸しているんだよね?」
「そ、そうですけど……」
「想像してみてよ。オレと菜々ちゃんと子供達で、あの豪邸で暮らすところを……。菜々ちゃんのこと誰よりも愛してみせるよ。小塚なんかに菜々ちゃんを奪われたくないんだ」
とにかく必死なのは分かるが、菜々を抱きたいという情念みたいなものがない。
こういう人がレイプ目的で薬を盛ったりするだろうか。
この人は、いつも高価な香水をつけている。シャツの衿の先まで美意識が行き届いている。こういう人と結婚した自分を想像しても少しもときめかない。
昔は、菜々も、亡き母の趣味でベルサイユ宮殿のような家に暮らしていたけれども、本当は、大河の実家のような木の温もりのある古い家が好きだ。大河と暮らしていた古いアパートは居心地が良かった。大河は、夏場はヨレヨレのTシャツ姿でダラッとしていた。もちろん、菜々も、ボサボさの頭でダラッとしていられた。
(だけど、田中さんはそうじゃない……)
あの夜、焼き鳥屋さんで同席した時、田中は自分の隣に建築関係のガサツなおじさんが座るのを嫌がっていた。バーに向かうタクシーの中で、田中は手鏡を取り出して髪を整えていた。前髪の角度が気になるようで、『女子かよ!』と言いたくなったくらいだ。もしも、純粋に田中が自分の事を好いているとしても……。この人とは上手くいかないと断言できる。
「そ、そういうのやめて下さい。彼氏がいますから」
よし、言ってやった。ここまで突き放したなら、さすがに降参すると思ったのだが……。田中は暗い顔つきで不吉な言葉を呟いている。
「菜々ちゃん、オレ、小塚と同じ高校に通ってたんだ。悪い噂を聞いた事があるんだよ。あいつ、高校生の頃に傷害事件を起こしてる。そんな奴と結婚したりしたら、菜々ちゃんの天国の御両親が悲しむよ。きっと、あいつ、DVをやっちゃうタイプだよ」
感情の嵐とは無縁に見える小塚が暴力沙汰ですって? 今は、そんな事よりも気になることがある。
「田中さん、どうして、あたしの両親が亡くなっている事を知っているんですか?」
田中は熱心な口調で呟いている。
「好きだから、菜々ちゃんのこと調べたんだよ。菜々ちゃんのお母さんは売れっ子の漫画家の藤村霞先生なんだよね。代表作の『エデンの園で待っていて』は映画化もされたよね。あれは詩情豊かで切なかったな」
両親と夫を亡くした事は人に話しているけれど、母親が人気漫画家だった事は徳光さんにさえも黙っている。それをこの人が知っているなんて……。
「オレさぁ、小学校の通学路に大きな三階建ての豪邸が建っていたから知ってるんだよ。今、あの豪邸は人に貸しているんだよね?」
「そ、そうですけど……」
「想像してみてよ。オレと菜々ちゃんと子供達で、あの豪邸で暮らすところを……。菜々ちゃんのこと誰よりも愛してみせるよ。小塚なんかに菜々ちゃんを奪われたくないんだ」
とにかく必死なのは分かるが、菜々を抱きたいという情念みたいなものがない。
こういう人がレイプ目的で薬を盛ったりするだろうか。
この人は、いつも高価な香水をつけている。シャツの衿の先まで美意識が行き届いている。こういう人と結婚した自分を想像しても少しもときめかない。
昔は、菜々も、亡き母の趣味でベルサイユ宮殿のような家に暮らしていたけれども、本当は、大河の実家のような木の温もりのある古い家が好きだ。大河と暮らしていた古いアパートは居心地が良かった。大河は、夏場はヨレヨレのTシャツ姿でダラッとしていた。もちろん、菜々も、ボサボさの頭でダラッとしていられた。
(だけど、田中さんはそうじゃない……)
あの夜、焼き鳥屋さんで同席した時、田中は自分の隣に建築関係のガサツなおじさんが座るのを嫌がっていた。バーに向かうタクシーの中で、田中は手鏡を取り出して髪を整えていた。前髪の角度が気になるようで、『女子かよ!』と言いたくなったくらいだ。もしも、純粋に田中が自分の事を好いているとしても……。この人とは上手くいかないと断言できる。