突然、あなたが契約彼氏になりました
「すみません。田中さんのお気持ちは有り難いのですが、小塚さんを愛してます。だから、これで最後にして下さい。さよなら」

 振り切るようにしてその場から立ち去る。どうやら、気付かれていないようだ。菜々は、小塚からの指導に従ってポケットにボイスレコーダーを隠し持っていたのである。

         ☆

 
 土曜日の午前十時。指定されたレトロな喫茶店で小塚と待ち合わせをした。私服姿の小塚を見るのは初めだ。無印良品で揃えたようなシャツとカーゴパンツである。

 社員旅行で有志が旅行することもあるけれど、小塚はそういうのに参加した事があまりないようだ。

 ちなみに、徳光さんは張り切って何度も参加しているが、女風呂に一緒に入った事は一度もなかった。いつも、徳光さんは生理だと言って個室の小さな風呂に入っていた。

(今思うと、あたしの裸を見ないように配慮してくれたのかもしれないなぁ……)
 
 そんな事をツラツラと思い返しながらプリンを食べていると、レコーダーの音声を聞き終えた小塚が眉間に力を込めた。

「驚きましたね。どうして、こんな大切な真実を黙っていたんですか? 亡くなったお母さんは超有名な漫画家なんですね。なるほど、実に興味深いな」

「母の漫画ってBLなんですよ。それも、かなり、過激なシーンを描いていたんですよ。人には言えませんよ」

 別に、BLの文化を否定するつもりなどないし、ましてや、母の職業を恥だと思っている訳ではないけれど、おおっぴらに言うのは憚れる。全裸でキラキラ系の美青年達が、あらゆる痴態を繰り広げているんだもの。

 大河の両親も、母の漫画を初めて目にした時は絶句して視線をオタオタと泳がせていた。めくるめく濡れ場の連続は、あまりに刺激が強くて、普通の人はあまり見たくないものだ。気持ち悪いと切り捨てる人もいる。

 ちなみに、大学時代の友達に母の職業を言うと、ものすごく喜んでいたけれど……。

「まさか、田中さんに、あたしの母の漫画のことがバレていたなんてビックリしました。男子は、ああいう漫画に嫌悪感を持つ人もいると想うんですけどね。小塚さんは藤村霞って知ってましたか?」
 
「いや、知らないです。今度、読んでみます」

「やめて下さい。ドン引きしますよ。あっ、それで何か分かりましたか?」

 女にレイプドラッグを盛るような奴は、大学のサークルで何かしらの兆候を見せていると小塚は予測したらしいのだが……。

「大学時代の田中匠さんには彼女がいませんでしたよ。あだ名はテニスの王子様。テニスサークルでも人気者の爽やかイケメンだったと、みんなが口を揃えて言ってます」

「そうなんですね」

 やはり、田中はレイプドラッグとは無関係なのかもしれない。

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