モノクロに君が咲く

 俺は一歩、一歩、とその絵へと歩みを進める。

 震えていた。足も、手も、喉も。けれどそんな自分に気づかないくらい、俺はただただ目の前の絵に魅了されていた。

 ──それは、広大な空に泳ぐクラゲの絵だった。

 心臓が不思議なほどゆっくりと音を立てている。体中の血液の流れが止まってしまったのではないかと思うほど、俺はすべてを忘れてその絵に魅入った。

 朝と昼と夕と夜。一日の空の様子がすべて詰め込まれたような空に、ふわりふわりと流れるように、雄大に身体を委ねて揺蕩うクラゲ。

 俺のことをクラゲみたいだと言った鈴の笑顔が、ふいに脳裏に浮かんだ。

 海ではなく空。空に泳ぐクラゲ。

 色の使い方だとか、技術だとか、そんなことはいっさい気にならない。ただとにかく、その一枚絵が訴え働きかけてくる情念が、俺にとってはあまりにも衝撃だった。

 ゆっくり、ゆっくりと視線を下へなぞらせて、ようやく『小鳥遊鈴』という名前を見つけた。そしてさらにその下。この絵のタイトル。


 タイトル:私の好きな人

 サブタイトル:海の月の道しるべ


「……海の、月──くらげ、って……俺、かな」

 その瞬間、俺の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

 耐え切れなかった。

 泣きたい、という気持ちを抱く前に泣いたのは、生まれて初めてだった。

 次から次へと流れていく涙は、頬を伝って地面へ吸い込まれていく。

 留まることを知らない。涙腺が崩壊してしまったのかのようだった。俺の意思に反して延々と流れ続けるそれは、胸を引き裂かんばかりに絞めつける。

 鈴は、俺をずるいと言った。けれど、本当にずるいのはどっちだろう。
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