月へとのばす指
【5】

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「ああ、藤城次長。話が終わったら私の部屋へ来るように」

 社長、つまり自分の父親に久樹がそう言われたのは、月初の定例会議が終わってすぐのことだった。営業部内の会議について部長と話をしていたところ、声をかけられたのだ。

「承知しました、後で参ります」
「藤城くん、急ぎかもしれないからいいよ」

 営業部長が気遣って言うのに、久樹は首を横に振る。

「いえ、こっちの話が済んでからで」
「いいのかい、直々の呼び出しなのに」
「自分は営業部の人間ですから。責任があります」

 そう返すと、部長は「真面目だね、君は」と微笑んだ。

 十分後、会議の日時と議題についての確認を終わらせて、久樹は社長室に向かう。エレベーターで二十二階、社長室と秘書室、専用の応接室があるフロアに上がるのは、アメリカから帰社した当日以来だ。そのぐらい社長である父親との、社内でのやり取りはめったにない。先ほどのように直に呼び出しを受けるのは、部長が気遣ったように、非常に珍しいのだ。

 重厚な意匠の扉をノックすると、久樹を招き入れたのは、第一秘書である男性だった。三十代ぐらいの彼を見たのは、帰社当日が初めてだった。会釈で挨拶を交わし、室内に足を踏み入れる。

 社長は正面の、社長とプレートの置かれた机に着き、横長の手紙のようなものを開いていた。机の上には他に、A4程度の写真台紙のようなものと、洋形の四角い封筒が一枚。

「来たか。まあ楽にしろ、仕事の話ではないから」

 社長の言葉と、机の上に置かれた物とで、何の話をされるのかはおおよそ予想がついた。と同時に、少しばかり不愉快な思いも芽生える。就業中にされる話ではないだろうと思ったからだ。

「何でしょう。仕事の話でないなら、手短に願えますか」
「わかってる。だが社内でもないと、なかなかおまえに会う時間が取れないからな、最近」

 はは、と親の顔で社長──父親は、かすかな苦笑いを浮かべた。公私混同ぎみであることは承知しているのだろう。

 まあそこにかけろ、と示された応接セットのソファに、久樹は腰掛けた。それなりに時間はかかると思った方が良さそうだ、と半ばあきらめつつ。
 机の上にあった物をまとめて持ち、父親が向かいのソファに座る。絶妙なタイミングで秘書が、二人分のコーヒーを供した。

「まずは、これだ。功貴から渡してくれと」

 ローテーブルの上に差し出されたのは、洋形封筒だった。見ると、表書きに「藤城久樹様」。裏には弟の功貴と、彼の婚約者の名前が並んで記されている。
 なるほど、結婚式の招待状かと合点がいった。まだ先だと思っていたが今は八月も目前。十一月の結婚式まではそう遠くもない。だが。

「身内でも、別居なら郵送で各自に送るものじゃないんですか」
「まあそうなんだが、おまえ、功貴に住所を教えてないだろう。LINEの返事も来ないと言ってたぞ」
「あ」
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