月へとのばす指

 言われてみればしばらく前、功貴から、住所を教えてほしい旨のメッセージが来ていた気がする。だが日々の忙しさに紛れ、後回しにしているうちに、すっかり忘れていた。

「いつになるかわからない返事を待つより、私から渡した方が確実だからと言われてな」
「……すみません」
「まあいいさ。功貴には後で返事しておけよ」

 それと、と父親は話題を切り替えるように写真台紙を手に取る。オフホワイトの表紙には「PORTRAIT」と箔押しされていた。

「とりあえず、見るだけでも見てくれ」

 と差し出された二つ折りの台紙を開くと、着物姿で斜めに座って微笑む、若い女性の写真。予想通りである。

「どなたですか」
「高井産業は知ってるだろう。あそこの、相談役のお孫さんだ」

 古くは材木商として財をなし、今は家具販売を中心としている高井産業。あそこの相談役は創業者一族の末息子だったはずだ。

「おまえが帰国してすぐ、うちが主催の集まりを開いただろう。そこでおまえを見かけたらしくてな」

 久樹の帰国と、功貴の婚約を披露する名目で開かれた、業界人中心のパーティー。何十人もの人物を紹介されたから、正直はっきり覚えていない相手もいるが、その中にはこの女性はいなかったように思う。

「あまりにも人が集まっていたから、気が引けて挨拶はできなかったようだと言っていた。少々引っ込み思案だともね」

 久樹の疑問を察したように、父親がそう言い添える。確かに、お嬢様にありがちな勝ち気な印象はなく、淑やかでおとなしい雰囲気の女性だ。

「だが一度おまえと話してみたいと、お孫さんにしては珍しく、相談役に頼んだらしい。それならこの際見合いをしてはどうかと、相談役が張り切ったようだ」

 写真台紙に次いで渡されたのは、こちらも予想通り、釣書だった。「お孫さん」の生年月日に始まり、経歴や資格などがずらりと列記されている。
 年齢は今年二十七歳、久樹と同年。有名女子大を卒業後に大学院へ進み、修士課程を高評価で修了。その後、外資系の銀行に就職して頭取秘書を務めている。茶道と華道の師範免許を持ち、社交ダンスとテニスはセミプロ級である──等。

「文武両道のお嬢さんですね」
「だろう。だがさっきも言ったように少々引っ込み思案で、異性との交際は経験がないそうだ。そんなお嬢さんがおまえに興味を示したのは、相談役が言うには、とても珍しいことらしい」
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