君を忘れてしまう前に


 サラは無表情だった。
 ドアにもたれながら軽く腕を組み、どこか冷たく感じる目つきで淡々とわたしのレッスンを眺めている。
 とにかくストイックなサラのことだ。
 もしかしたら、わたしのレッスンのレベルが低くてお話にならないと思っているのかもしれない。
 
「米村さん、どうぞ」

 リカコ先生は微笑みながら手のひらをわたしに向けた。
 歌いなさいという威圧的な合図に、ばかみたいに鼓動が暴れだす。
 今回の学内コンサートのために作った曲は、サラのことを思ってこっそりと書いたものだ。
 それがまさか、サラの前で好きな人がいるとバラされた上で歌うことになるなんて。
 猛烈に泣きたい。
 助けを求めてリカコ先生に視線を送ったけど、瞳がピクリとも動かない笑顔を向けられただけだった。
 あの笑顔には、早く始めなさいという意味が込められている。

「もうやるしかないか……」

 ここで「歌いたくありません」と言っても、リカコ先生がやめてくれるはずがない。
 どうしても歌わないといけないなら、腹を括るしかなさそうだ。

「では歌います。お願いします」

 いつもよりも力を込めてギターのネックを握る。
 唇を開いたと同時に、さっきサラがくれた言葉が耳を掠めた。

『好きにやってみれば?』

 恥ずかしいことも辛いことも悲しいこともなにもかも忘れて、好きなようにやってみようか。
 これから自分で作った曲を精一杯、歌いきればいいだけだから。
 演奏中はどんなに感情をぶつけても、それがサラのことだなんてここにいる人達は誰も気づかない。
 だからなにも気にしないで、今はとにかく集中すればいい。

――サラ、ありがとう。

 心の中で呟いてから、マイクにメロディーを乗せる。
 やっぱりわたしの歌もギターも下手くそだな、と思わずにはいられなかった。
 わたしがどれだけ努力したって、サラと香音さんには死んでも追いつけないだろう。
 それでも、この瞬間はわたしだけのものだ。
 好きなことを好きなように思いきりやる。
 そして演奏が終わったらサラにお礼を伝えて、またバカみたいな話をして一緒に笑おう。
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