隠したがりの傷心にゃんこは冷徹上司に拾われて

弱さの象徴

「猫宮」

 玄関を入った所で、突然部長に左腕を掴まれた。

「これ……」

 部長は私の手を返すように、手首の辺りを上にする。そして、反対の手で私の袖を捲くりあげようとする。私は反射的に部長の手を払い除けていた。

「見ないで!」

 部長が怯んだ隙に掴まれていた手を振りほどく。そのまま右手で、左腕を隠した。

「……悪い」

 部長はそう言うと、はっと一瞬目を見開いてから、両手を上げて視線を落とす。
 無意識のうちに部長を睨んでいたらしい。
 顔のこわばりに気付いて表情を緩めると、緊張の糸が緩んでしまったらしい。
 目頭がかっと熱くなり、慌てて泣くなと自分に言い聞かせる。

 そうしているうちに、怒りと、悲しみと、悔しさと、惨めさが同時に押し寄せる。ぐっと胸に何かがつかえて、息が出来なくなる。

「……見ないで、ください」

 握られた手の下にあるのは、私の弱さの象徴。
 消えることのない、傷跡。
 強い人になるための戒めに、消さないでいる傷跡。

 中学生の頃、弱虫だった私が自らつけた、傷の跡だ。

 職場では、カーディガンを着て。私服時は、パーカーやジャケットを着て、隠していた。
 それを、よりにもよって憧れの部長に見られてしまうなんて。

「見な、い、で……」

 声が途切れ途切れになる。
 ダメだ、泣くな、泣くな。
 けれど、今首元に手を持っていったら、確実に傷跡を見られてしまう。

 堪えられなくなって、頬に冷たいものが一筋流れる。

 ――ああ、ダメだ。

 そう思った刹那だった。
 気が付いたら、温かな腕の中に閉じ込められていた。どうやら、部長が私を抱きしめているらしい。
 頭を押さえつけられて、部長の厚い胸板から部長の優しい鼓動が伝わってくる。

「猫宮……」

 触れる部長のTシャツは雨に濡れて冷たいはずなのに、その腕の中はとても温かい。
 ダメだと思うのに一度あふれ出した涙は堰を切ったようにあふれ出す。

「ぶ、ちょ……」

 嗚咽が堪えきれず、言葉にならない声が出る。

「何も言わなくていい。思いっきり泣いていい」

 部長のささやきが、優しく私の鼓膜を揺らす。
 私は、まるで泣きじゃくる赤子のように、そのまま部長にしがみついて泣き続けた。
 止まらなかった。
 自分がもろくなっていく気がするのに、私は涙を止められなかった。

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