愛を奏でるワルツ~ピアニストは運命の相手を手放さない~

グロリエッテにつくまでなだらかな丘をくねくね歩く。
下で見たよりもかなりの距離があり、まだ六月で爽やかなはずが汗を掻いて喉が湧いた。
坂を上がりきり見下ろせば庭園と宮殿だけでは無く、ウィーンの街が見下ろせ、また私は美しさに感動しながら写真を撮る。
何を撮っても絵になるって凄い場所だ。

グロリエッテの中はやはりミニ宮殿のようで、白を基調としたデザインが上品だ。
カフェにはケーキもあるが、後でザッハトルテが控えているため我慢。
不思議とアイスコーヒーがなく、二人でアイスティーを頼んで席に着いた。
宮殿を見下ろす側の大きな窓は開け放たれ、グロリエッテ前の芝生には寝転ぶ若者達もいる。
そんな様子を不思議な気持ちで眺めながらアイスティーを飲むと、何も入れていないのに甘くて驚いた。

「かなり甘いね。こっちはアイスティーって甘いの?
アイスコーヒーが置いて無いのも驚いたけど」
「市販のアイスティーを使ってて大抵甘いんだ。
こっちはコーヒーならホットなんだよ。
昔よりもアイスコーヒーを置く店も増えたが、まず無いと思った方が良い。
紅茶もホットが普通で、冷たいのを飲むなら炭酸水かジュースになる」
「糖分の量が怖いね」

私の真面目な心配に、レンは軽く笑う。
ずっとレンは私といて笑ってくれている。
最初に会った無愛想で冷たい表情を忘れてしまうほどに。

「疲れたか?」

黙ってしまったせいか、心配そうな声をかけられた。

「ううん。
やっぱりここにいるのが不思議なだけ」
「昨日もホイリゲでそんなことを言ってたな」
「レンって日本が堪能ってレベルじゃ無いよね。どうして?」

答えてくれないかも知れない、嫌がられるかも知れない。
だけどもっと彼との距離を縮めたい。
私のまなざしに負けたように、レンはサングラスを外してジャケットの胸ポケットへ入れた。
明るいときに見る彼の目は久しぶりに感じた。
深い深海のようで、でもキラキラとしたサファイアのようで目が離せない。

「俺の母親は日本人、父親はドイツ人だ。
瞳の色は父親譲り。
母親は日本語を忘れたくないから基本家では日本語を使うし、今も日本のドラマや音楽を聴く。
俺自身もそんな環境で育ったし、日本人の友人もいるから日頃から使っているんだよ」

私は目を丸くした。
まさかここまで話してくれるなんて。

「なんだ、答えてやったのに」
「答えてくれるとは思わなかったんだもの」
「明日答えるって昨日言っただろ?」

あれは本当だったんだ。
聞こうと思った事が沢山あったのに、急に答えてもらえるとなると何を聞いて良いかわからなくなる。
ふと見れば、レンはテーブルに頬杖をついて外を眺めていた。
うわ、絵になる。
高い鼻筋、長いまつげに愁いを含んだような表情。
風で彼の髪は撫でられるようにふわりとなびく。

周囲の反応が気になって見てみれば、じっと見ている女性達数名と目が合う。
だが日本人ならきっとここで相手が目をそらすだろうに、海外の人はむしろまだこちらを気にせずに見ている。
私の方が根負けして顔を戻した。

「どうした?」
「レンのことを見ている女性が多くて再度びっくりしていたところ」

レンは面倒そうに息を吐いた。

「何が良いんだか」
「実は王族ですって言われても信じるくらい格好いい男性がこんな城のような場所にいれば、無理も無いと思うけど」
「へぇ、俺は格好いいか?」
「うん」

こくりと頷くと、嫌がるかと思いきやレンは目を細めた。

「楓に言われるのは悪くない」
「何それ」

不思議がる私を置いて、レンは視線をまた外に向ける。
やはり格好いい人はどの角度であろうと絵になるなと思いながらレンに確認する。

「今日のオフは夕方までなんだよね?」
「あぁ。
だからザッハーで一息ついたら俺は仕事に行くことになる。
一人でホテルに戻れるか?
ザッハーからホテルまで、歩いて十分ほどの距離だが」
「帰れるよ、地図で事前に確認しておいたし。
でも夕方から仕事なのに、そんな時間まで一緒にいてくれて大丈夫?
そちらの方が心配で」

ずっと気になったことを伺うように言えば、青い目が私を見ている。
その目に見つめられるのは無性に恥ずかしい。

「本当は事前の打ち合わせが合ったんだがキャンセルした」
「え?!」

びっくりしているとレンが何かを気付いたようにポケットからスマホを取りだし、簡単に打ち込むとまたポケットにしまった。
おそらくスマホのバイブレーションで気付いたのだろう。
昨日から時折そうやってメールかメッセージなのかを打ち込んでいるのを見かけた。

「仕事の連絡じゃ無いの?
電話とかしなくて大丈夫?」
「楓が気にすることじゃない」

ぶっきらぼうに言うと、残り少ないアイスティーを飲んでいる。
もしも仕事じゃ無くてプライベートなことなら、なおのこと踏み込めない。
唸りそうな気持ちでいると、またレンは外に視線を向けた。

「久しぶりだ、こういう休日は」

風がゆったりとカフェの中を通り抜ける。
外では小さな子供が芝生の上をはしゃぎながら走り、両親らしき男女がその後ろをベビーカーを引きながら微笑んで見守っている。
寝転んで本を読んでいる学生のような子、他の国かららしき観光客達。
レンはそのどれかを見ているという訳では無く、ただぼんやりとしているように見えた。

「いつも休日は何をしているの?」
「そうだな、勉強か、仕事の準備か、寝ている」
「うわ、凄くハードなんだね」
「シェーンブルン宮殿なんて仕事でしか来たことが無かった」
「仕事で?
音楽関係って言ってたし、もしかして音楽家なの?」

これはチャンスなのではと、私は一気に真相に迫る。
青い綺麗な目が私を見る度に、私の胸がドキドキすることをレンはわかってやっているのだろうか。

「知りたいか?俺の仕事」

私は力強く頷いた。
レンは目を細めて優しげなまなざしを私に向けた。

「イイコにしていたら、今夜、教えてやろう」
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