悪役令嬢と、弟王子
「ユドガレー」


 ――目の前で、ヤクル殿下が柔らかく笑う。


 ……あの婚約破棄事件から、十年。十歳も年の差があるからこそ、私は度々ヤクル殿下に婚約解消のことを口にしていた。だって幾らヤクル殿下が私のことを好きだなんて口にしていたとしても、十歳も年上の私と一緒に居ることはもったいないことだと思ったから。
 でもヤクル殿下に何度その提案をしても、ヤクル殿下は頷いてくれなかった。


 そのたびに、なんというか、びっくりするぐらい私のことを好意的に思っているって言葉を、ヤクル殿下は私にくれる。


 ……私は、そういう風にまっすぐな目を向けられて、それでいて「私は一緒に居たいのに、嫌?」みたいにちょっとあざとく言われると……、ええ、正直それを私は振り払えなかった。
 だから二十八歳になった私は、十八歳のヤクル殿下の婚約者のままだ。
 ああ、もう今もなんていうか、私のことをヤクル殿下は熱を帯びた目で見ているの。落ち着かないわ。



「どうしたの?」
「……婚約したあの一件から、十年も経ったのねと思っただけ」
「兄上とユドガレーの婚約がなくなってよかったと思ってるよ。そうじゃなきゃ私の婚約者になってくれなかったんだから」
「……ねぇ、私はもう二十八歳よ。ヤクル殿下よりも十歳もおばさんで、これからどんどん年老いてしまうわ。本当に結婚して大丈夫かしら?」


 ヤクル殿下と私は、まもなく結婚式を行う予定だ。
 でも私は本当に大丈夫なのだろうか、と心配になる。それは私がヤクル殿下よりも十歳も年上で自信がないからなのかもしれない。
 私の言葉を聞いてヤクル殿下は笑みを深める。でもその笑みは昔と同じような愛らしさだけを感じるものじゃなくて、少し怖さを感じてしまうような笑み。



「ユドガレー。私はユドガレーだから結婚したいんだ。というか、逃がしたくない。ユドガレーが私から逃げるの嫌。ユドガレーは、私と結婚したくないの?」
「……そういうのじゃないわ。ただ、やっぱりヤクル殿下にはふさわしい相手がいるんじゃないかってそう思ってしまったりするの」
「それ、誰が言ったの?」
「だ、誰がって」
「誰かに言われたんでしょ? 私に教えて、ユドガレー」


 ああ、なんというかヤクル殿下はそういうことを全部お見通しなのだと思った。


 ヤクル殿下は本当に私のことをよく分かっている。……あの婚約破棄と、新たな婚約の結びなおしの一件で、私の環境はがらりと変わった。にこにこと笑うヤクル殿下が私の傍にいるからこそ、なんというか、私の周りに人が集まるようになった。そして私は悪役令嬢なんて呼ばれていた頃が嘘のようになっている……。
 それも全部ヤクル殿下のおかげ。
 私はヤクル殿下のことを好ましく思っている。でも……、私はヤクル殿下を特別に思うからこそ私でいいのだろうかと、あれね、マリッジブルーになっているのかも。
 それは周りから言われた言葉でもある。……私みたいな、年上がヤクル殿下を縛り付けるのはどうかって言われた。それが私の胸に突っかかりのように刺さって、なんだか気にしてしまった。



「……」
「言わないなら別にいいよ。私の方で調べるから。それにはちゃんと対応するから、ユドガレーは私のことだけ考えて。私はユドガレーが好きだよ。ユドガレーもそうだろう?」
「……ええ。ヤクル殿下が好きだわ」
「ならそれでいいんだよ。年の差なんて気にしなくていい。私がユドガレーがいいと言っているんだから。それに私はユドガレーがたとえ逃げても捕まえに行くよ。だから大人しく私の傍に居て欲しい」
「……ええ」


 立ち上がったヤクル殿下に抱きしめられて、結局私は頷いた。


 本当に私でいいんだろうかとか、周りの目を気にしてしまったりだとか、そんなことをぐたぐたいっていても結局私はヤクル殿下に好意を抱いていて、ヤクル殿下がこうして私のことを求めてくれる限り、そばを離れられないんだろうなと思った


「……ヤクル殿下がそうやって私を求めてくれると、私は本当に離れらないと思うわ。これからヤクル殿下が後悔しても、嫌がっても、離せないかも」



 私は重い言葉を口にしてしまっていたと思う。
 だけど、ヤクル殿下は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「その方が私は嬉しいよ。ずっと一緒にいようね、ユドガレー」


 そしてそう言って笑った。






 私はきっと、これからもこうやってヤクル殿下の傍に居るだろうと、そんな予感でいっぱいになる。
 悪役令嬢なんて呼ばれていた私は王太子に婚約破棄された。その時にはこういう明るい未来が待っているなんて思わなかった。けれど、ヤクル殿下が流れを変えてくれた。



 ――悪役令嬢だと呼ばれていた私は、今、ヤクル殿下のおかげで幸せだ。
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