卒業証書は渡せない

33.生徒指導室

「早かったな。──なに立ってんだ、座れよ」

 声に促されて、私はそのまま近くの椅子に座った。
 そこで待っていたのは、紛れもなく、牧原君だった。

「……あの、なんで……?」

 確か牧原君に会うのは、旅行の前日だった、はず。

「他に空いてる部屋がなくってさー、唯一空いてたのが生徒指導室って、ここ初めて入ったよ」

 もちろん、私も初めて入った。
 とりあえず、先生から叱られるわけではなさそうなので、ほっとした。

「あ──だから、なんで牧原君がいるの?」

 それが知りたかった。
 いまだに『目の前に牧原君がいる』事実を信じられず、もしかしてそっくりさん? と思ったりした。

「もしかして、疑ってる?」

 疑いたくはないけど、信じるのも難しいです。

「転校した後も、まだこの学校の生徒だったんだ。もしかしたら卒業までに戻って来るかも知れなかったから、籍は置いといた」
「戻って来るの?」
「いや──戻らなくなった。あ、もちろん、日本に戻って来ることはあるかもしれないけど、学校には戻らなくなった。だから、正式に手続き終わらせに来たんだ」

 牧原君は笑っていたけど、私はそうはできなかった。

「笑ってよ、夕菜ちゃん。って、笑えないか、今は」

 牧原君がアメリカに行ってからのことは、ときどき電話かメールで報告していた。普通の学校生活のことも、奈緒と弘樹のことも。斎鹿博美のことも、一応、伝えた。

「学校じゃ何だし、とりあえず出よう」
「うん……あ、でも、奈緒と──」
「あいつらは帰ったよ。僕が来たこと、弘樹は知ってるから」


 アメリカの学校はシステムが良くて、先生や友達にも認めてもらえるようなってきた、と牧原君は言った。

「でも、どれだけ褒められても、嬉しいことがあっても、夕菜ちゃんのことが頭から離れなかった。あの2人のそばにいて大丈夫なのかな、ってずっと思ってた」

 そんなときに弘樹から連絡があって、旅行の話になったらしい。

「即決だったよ。いつ帰れるかはわからなかったけど、とにかく会いたかった」
「牧原くん……」

 転校する前、牧原君は何度も「僕のことは忘れて新しい彼氏を見つけて」って言っていたけど、それは無理だった。
 牧原君を忘れるなんてできなかったし、他に好きな男の子も、弘樹以外にいなかった。

「僕、夕菜ちゃんに自分のこと忘れてって言っといて、自分が忘れられなかったよ」

 周りに人がいなくて良かった、と思った。
 いつの間にか牧原君に抱きしめられていて、簡単に離れることは出来なかった。学校から離れたところにある自然公園は、散歩をしに来る人がたまにいるくらいで、遊具がないから子供はほとんどいない。

「どっちが本当なのかな」

 私を離してから牧原君が言った。

「夕菜ちゃんの気持ちを優先させたいのか、自分のものにしたいのか」
「私と同じ」
「……ははは。そうだな」
「今は──」

 アメリカかぶれなのか、元からなのかはわからないけど。
 いつの間にか牧原君の顔がドアップで目の前すれすれにあるんですけど。

 じんわり出てくるこの感覚は、さてはキスした?

 ……真っ昼間、なんですけど。
 頭の上には何もなくて、陽射しが暑いのか、自分が発熱してるのか、わからないんですけど。
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