離縁予定の捨てられ令嬢ですが、 なぜか次期公爵様の溺愛が始まりました
 その後、躾け直すという名目でフィオナは離れの物置に閉じ込められた。
 外から鍵をかけられ、以前のようなある程度の自由さえもない。
 噂が消えるまでは利用できない。けれどいつか役に立つ日もあるだろうと、数多くの布と糸を押しつけられた。そしてまともに休むことすら許されず、ひたすら縫い物をし続けた。
 大好きで仕方がなかった刺繍すら、今はちっとも楽しくなかった。刺繍ができればその用途には目をつぶってきたフィオナだが、もう、そんなことはできない。
 気持ちは深く沈んだまま、フィオナはただ手だけを動かした。
 そんなある日のことだった。
 フィオナがいる離れの部屋にまで、屋敷全体がざわざわしているのが伝わってくる。
 いったいなにが起こっているのか――でも、わざわざ考える必要などないかと、諦めに近い気持ちを抱いて手元の作業に没頭する。
 そうして騒ぎが落ち着いた夕方頃、フィオナは久方ぶりに本館に呼び出された。
 心と表情を凍らせたまま、フィオナは叔父一家の集う部屋にたどり着き、絶句する。
 しくしくしく、と肩を震わせて涙を流す従妹の姿がそこにあった。
「お父さま、わたくし嫌です! いくら相手が次期公爵でいらっしゃるとしても、あの方だけは嫌!」
 ナサニエルに向かって必死に訴えるエミリーの様子に、なにがあったのかと目を見張る。けれどすぐに気持ちは沈んでいった。
 こうしてエミリーがわがままを言う時は、大抵ろくなことにならない。今までも八つ当たりされるか面倒事を肩代わりするかのどちらかだったから。
 次期公爵という言葉が出てきたけれど、エミリーはいったいなにをやらかしたのだろうか。面倒事でも引き起こされたらたまらない。相手の身分が高ければ高いほど、失態を犯した時の反動は大きいのだ。
「エミリーや。お前の気持ちはわかっているよ。私だって、大切なお前をあんな男のもとへ嫁がせるのは心苦しい」
「だったら! お父さま!」
「しかし、これは王妃陛下からの打診でもあってね。――ううむ、悩ましい」
 目の前で繰り広げられる会話に、フィオナの頭は真っ白になった。
 だって、話を繋ぎ合わせるとこうだ。王妃陛下の口添えで我が家に婚約の打診があった。そしてそのお相手は、次期公爵という身分の殿方であると。
 フィオナはごくりと息を呑む。そこでようやく、エミリーたちはフィオナに意識を向けた。
 ナサニエルは不機嫌そうに顔をしかめている。一方のエミリーは泣き腫らしていたはずの目をこちらに向け、実に楽しそうに笑みを浮かべた。
「ねえ、お父さま? 王妃陛下はレリング伯爵家の娘をと仰ったのでしょう? でしたら、わたくし以外にもうひとりいるではありませんの?」
 フィオナは表情を強ばらせた。
 やっぱりエミリーは、自分が望まぬことをフィオナに押しつけるつもりらしい。
「しかしだなあ。お前と比べると、アレは見目もよくないし、貴族としてまともな振る舞いもできない愚図だ。先方になんと言われるか……」
「でもあの方は、これまで何人もの婚約者を追い返してきたのでしょう? 初日ですぐに追い出されて当たり前ですもの! 今さらお姉さまが追い出されたって、我が家の評判に傷はつきませんわ」
「そうだがなあ」
 大袈裟に渋ってみせるナサニエルに向かって、エミリーはうるうると上目遣いで訴えかける。
「王妃陛下の顔を立てて、我が家にも傷はつかない。それでよろしいではありませんか。だからお父さま、お願い! わたくし、恋人の存在を隠そうともしない、あのような冷酷なお方の婚約者になんてなりたくないの!」
 そこまで聞いて、もしかしてという思いが駆け廻った。エミリーの相手とやらが、世間の情報に疎いフィオナですら知っている殿方であると気付いたからだ。
「ウォルフォードさまは、大変身分も高くて優秀な方でいらっしゃるがなあ。――娘の幸せのためにはいたし方ないか」
 ウォルフォード。
 もしかしなくても、相手はセドリック・ウォルフォード次期公爵ではないだろうか。
 現王妃の生家でもあるウォルフォード公爵家の跡取りにして、王太子の従弟であり、側近。二十四歳と若くしてすでに将来の宰相候補と目されている、智謀に優れた人物らしい。
 美貌の殿方だと評判ではあるが、それ以上に冷酷だという噂が絶えない。
 誰に対しても冷たく、使えない者は容赦なく切り捨てる。それは部下だけではなく、家族にも及ぶらしい。父親であるウォルフォード現公爵を言いくるめて領地に縛りつけ、母親や弟の自由まで奪っているそうだ。
 ウォルフォード公爵家の実権はもはやセドリックのもので、それを邪魔する者は血の繋がった家族とて閉じ込める――ということなのだろう。
 さらに彼には、結婚を許されないような低い身分の恋人がいるのだとか。実際、彼の左手の薬指に、その誰かとの愛を誓った指輪がはめられていることは有名だ。
 見合い相手を容赦なく追い出すとか、ひどい暴力を振るうという噂まである。
 いくら将来有望な美男でも、悪い噂が多すぎていまだにお相手が見つかっていないらしい。廻り廻って、とうとうこのレリング伯爵家に声がかかったということだった。
 そんな事情のある相手だ。エミリーが見合いをしたとしても成立するとは思えない。もちろん、フィオナとて同じだろうが。これはあくまで、王妃陛下からの打診を断らないようにするための、形だけの見合いというわけだ。
「まあ、フィオナでは早々に追い出されるか」
 ナサニエルが冷たく言い放つ。ふんと鼻を鳴らし、ギロリと睨みつけた。
「――フィオナ。光栄に思え。お前をレリング伯爵家の娘としてウォルフォード公爵家に向かわせる。どれだけ罵声を浴びさせられようと、暴力を振るわれようと、けっして逆らってはいけない。わかったか?」
 フィオナは首を縦に振ることも、横に振ることもできなかった。
 心が乾いて、もう痛みすら感じない。
「一瞬でも、あのウォルフォード次期公爵さまとの縁がいただけるのだ。お前にはもったいない話だろう? いいか? けっして粗相をしてはならぬぞ」
 大人しくウォルフォード公爵家に向かい、エミリーの代わりに切り捨てられてこいということなのだろう。そうなったらなったで、この家に出戻っても叱責されるか、馬鹿にされるか。もしかしたら、もうこの家に戻ることすら許されないかもしれない。
 つまり、フィオナだったらどうなっても構わないと言っているのだ。
(そっか)
 それだったら、フィオナだって構わない。
(だったら、もういいや)
 路頭に迷うことになってもいい。
(出ていこう)
 ――この家を。
 頑張って貯めたお金は全部取り上げられた。フィオナはもう、なにも持っていない。
 正直、不安しかない。でも、もう二度とこの家には戻らない。そう決めた。
 次期公爵とやらに捨てられたら、そのままどこかへ行こう。放り出されてしまえば、きっとまともに生きられるはずがない。それでも、この家に戻るよりはずっといい気がしてきた。
(針子として住み込みで雇ってくれるところを探して……)
 フィオナは一度、すべてを諦めた。今だって諦めている。
 最後はどうしようもなくて、身売りでもなんでもしないといけないかもしれない。
 でも、諦めているからこそ、フィオナはその身ひとつで家を出る決心がついたのだった。
< 3 / 4 >

この作品をシェア

pagetop