皇妃エトワールは離婚したい~なのに冷酷皇帝陛下に一途に求愛されています~
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レーネの手伝いで身支度を整えたエトワールは、食事を終えてホッと息を吐いた。
今朝起きてからは昨夜のような頭痛もなく、体調も悪くない。ただ気になるのは、普段よりも思うように力が入らないことくらいだ。
その程度ならば疲れていれば普通だと思ったエトワールは、図書館に行ってみようと考えた。一度目の結婚生活では多忙故に直接図書館に行くことができなかったためわからないが、もしかしたらシュテルフェン皇国にも、時間の巻き戻りについて書かれた本があるかもしれない。
そうと決まれば早速、と立ち上がろうとした時、エトワールの部屋に来客があった。
「陛下のご指示で参りました。診察をさせていただいてもよろしいですか?」
「……そういえば、侍医を呼ぶと陛下が言っていたわね。ええ、お願いするわ」
エトワールの返事を聞いて室内に入ってきたのは、白衣を着た高齢の女性だった。
一度目の結婚生活で、アルフレートとエトワールの周囲には比較的若い者が多かった。前皇帝の支持者をそばに置きたがらないアルフレートの方針だった。高齢なのはこの侍医くらいだ。
優秀であり、医師の職務に忠実なこの女性を、アルフレートは排除しなかった。
侍医は、見た目に反しててきぱきと診察の準備を終えた。
「それで、どこがお悪いのですか?」
「ええと──」
エトワールは困惑する。昨夜エトワールの様子がおかしかったのは、突然訪れた死と時間の逆行を、エトワールが受け止めきれていなかったからだろう。今では頭痛も治まっているため、目立って気になることはない。
そのためエトワールは、唯一残っている小さな不調を口にした。
「なんとなくうまく力が入らない気がするの。倦怠感、というか……ほんの少しなのだけれど」
「どれどれ、診てみましょうか。そこに横になってくださいませ」
侍医に言われ、エトワールは寝台に横たわる。
皺が目立つかさついた手がエトワールの足先にかざされ、ゆっくりと上へと移動していく。
魔法道具を使うこともあるが、魔法に優れた医師はそうして診察することの方が多いと聞く。なんでも、この方が精度が高いのだそうだ。
足から腹、胸、腕、頭と辿って診察をした侍医は、困ったように眉尻を下げた。
「──皇妃殿下。不躾な質問ですみませんが、最近呪われたりとかなさいましたか?」
「呪い?」
エトワールは驚き、手をついて上体を起こした。
侍医が落ち着けるように首を横に振る。
「いえ、失礼いたしました。たとえ話でございます」
その言い方がまたエトワールには引っかかって、正面から侍医を見据えた。
「『呪い』という言葉が出るような状態とは、どういうことかしら」
その問いに、侍医はもう一度エトワールの体を診察する。そして、再びゆるゆると首を横に振った。
「皇妃殿下は魔力量が非常に多いと伺っておりましたが、今は一般人程度の魔力量しかないようです。通常、魔法の使用等で一時的に減ることがあってもすぐに回復するのですが、回復の兆しもなく……呪い等で特殊な魔力制限を受けた場合と、魔力欠乏症に罹った場合に現れる症状です」
「魔力欠乏症!?」
エトワールは慌てて体内の魔力に意識を向ける。もともと魔法が得意なエトワールは、自身の魔力を追いかけることにも慣れていた。
自分の内を探って少しして、エトワールはその変化に愕然とした。生まれてからずっと満たされていた魔力の器が、ほんのわずかを残してほとんど空になっていたのだ。
人間には、それぞれ魔力が入る器がある。器の大きさは生まれた時から決まっていて、魔法を使っていない時はいっぱいに魔力が満たされているはずなのに。
「『代償』……」
もしかしてエトワールは、魔力を代償として時間を逆行したのか。
驚いていると、侍医が治療をしてみると言って魔力をエトワールに流し始めた。しかしエトワールの体はその魔力を吸収しない。
魔力欠乏症は、魔力量が多い者にごく稀に起こるという難病のひとつだ。共通するのは魔力の総量が減ってしまうというもので、症状としては倦怠感や脱力等が最も多いらしい。こうして回復させようとしても受けつけないのも特徴なのだという。
「魔力量が多い人は、無意識に常に魔力を体力に変換しておりますから。その補助がなくなると、思うように力が入らなかったり、疲れやすくなったりするのです」
「それは治るの?」
エトワールの率直な問いに、侍医は困ったような顔をする。
「……現在の魔力量に慣れれば、やがて普通に動けるようになります」
エトワールはつい溜息をついた。これは魔力欠乏症ではなく、時間を逆行したことの代償だ。だが、症状としては魔力欠乏症が最も近いらしい。
素直に事情を言ったところで、嫁いできたばかりのエトワールの言うことを真に受ける者はいない。身近な者にすら打ち明けて信じてもらえることではないだろう。
生活には困らないが、エトワールは困ってしまった。悲惨な死を回避するために動かなければならないという時に限って、今すぐ思うように行動できないというのは辛い。
魔力が戻ってくることはなく、慣れるまでは不便な体のままなのだ。
「──……そう。ありがとう」
侍医はエトワールに無理をしないようにと言いつけて、部屋を出ていった。
動揺を隠しきれないレーネが、どう声をかけるべきか迷っているように視線を彷徨わせている。エトワールは仕方がないと苦笑した。
「とりあえず、図書館に行きましょうか」
代償があるというのは、昨夜にはもうわかっていたことだ。うじうじ悩んでいても始まらない。その代償が魔力だというのは不自由なことも多いが、そもそも普通に生きていて大量の魔力が必要になることなどないだろう。魔法使いや魔法騎士等にとっては大変な問題だが、エトワールが皇妃として生きていくならば、大規模な魔法を使う機会などない。
むしろそんなことがあったら騎士たちの面目が丸つぶれだ。
なんでもないことのように言うエトワールに、レーネが前のめりに問いかける。
「そっ、そんなことして大丈夫なんですか!? 寝てなきゃいけないんじゃ──」
「大丈夫よ。だって、ちょっと体が重いくらいだから」
「でも」
「本を選んだらすぐに戻るから。ね?」
それに、現在の魔力量に慣れるためには、やはり動く必要があると思うのだ。
折れるつもりがないエトワールは、ソファーの背もたれにかけていたストールを持った。心配してくれているレーネには悪いが、押し切ってしまえば、渋々でもついてきてくれることは知っている。
そのため、当然のように部屋を出ようとしたのだが。
「──どこかに行くつもりなのか?」
扉を開けたところに、仕事中のはずのアルフレートが補佐官のクラウスと共に立っていた。
「陛下……」
扉に手をかけたまま立ち止まったエトワールは、アルフレートの顔を見上げる。眉間に寄っている皺と低い声がいかにも不機嫌そうだ。エトワールの後ろにいるレーネは怯え、クラウスも仕方がないというように額を押さえていた。
「私は、君の診察結果を聞いて来たのだが」
「え、ええ。もう診察は終わりましたので、図書館にでも行こうかと」
エトワールが言うと、アルフレートはぴくりと眉を動かした。
「図書館?」
「調べたいこともありますから」
本当は、執務中にもかかわらずエトワールを心配してやってきてくれたことに礼を言うべきだ。体調についても説明して、わかり合うべきだ。
でも今のエトワールは、アルフレートに好かれるわけにはいかない。
「申し訳ありませんが、道を空けていただけますか?」
エトワールは、アルフレートを見据えて言った。
つんと澄ましてみせると、クラウスが慌て始める。アルフレートを怒らせると思っているのだろう。エトワールはそれでも構わなかった。
いっそ怒って、エトワールのことなど嫌いになって、構わないでいてくれたらいい。
しかしアルフレートは、エトワールの想像もしない方法で怒りを体現した。
「──わかった。そちらがそのつもりならば、私にも考えがある」
言うか早いか、アルフレートの両手が伸びた。逃げる間もなく引き寄せられたエトワールは、ひょいと両腕で掬い上げるように抱き上げられる。その体勢は、まるで物語の騎士や王子が大切な姫にするもののようで、エトワールは顔を赤くした。
「なっ、にをしているのですか!?」
咄嗟に暴れるが、体を支えるアルフレートの腕が力強くて逃げ出せない。端から見れば、仲のいい夫婦がじゃれ合っているようにしか見えないだろう。
「落ちたくなければジッとしていてくれ」
「え!?」
アルフレートはそのままエトワールの部屋に遠慮なく入り、寝室まで移動してしまった。エトワールは寝台の上に下ろされて、上から布団をかけられる。
「しばらく寝ていた方がいい。診察通りなのであれば、まだ動くのは辛いはずだ」
「で、でも──」
「……なぜそんなに図書館に行きたいんだ?」
寝台でジッとしていれば治るようなものではないのだ。ならば逆行について少しでも早く調べたい。それだけの理由なのだが、アルフレートに言うわけにはいかない。
エトワールは唇を噛んだ。
「理由も言えないのか?」
アルフレートが呆れたように溜息をつく。エトワールを愛していないのに、大切なもののように心配している素振りをする。
エトワールはそんなアルフレートが恐ろしく見えて、目を伏せた。
「──……嫁いできたばかりですから、早くこの国のことを学びたくて」
苦し紛れの言い訳は意味がないと知っている。それでも黙っていては、いらぬ疑いを抱かれてしまう。間違っても間諜として裁かれたくはない。
疑われるかと思ったが、アルフレートはエトワールの主張を聞いても怪訝な顔をしなかった。
「そうだとしても、無理をしていいことはない。まずは落ち着くまで休んでいてくれ」
アルフレートの手が、エトワールの頭にそっと触れる。遠慮がちな手つきでぎこちなく撫でられて、エトワールは目を閉じた。
懐かしい触れ方だった。一度目の結婚生活で、まだエトワールと出会ったばかりの頃にアルフレートがしていた触れ方だ。触れることに慣れていくにつれて消えていったぎこちなさだ。
この頃のアルフレートは、大切なものの慈しみ方をまだ知らない。
エトワールは伸ばされている腕の向こうにあるアルフレートの顔を見上げた。意思の強そうな青紫色の瞳がエトワールを見下ろしている。わずかに目が細められていて、唇はきゅっと引き結ばれている。こういう顔をしている時、アルフレートは絶対に譲らないのだ。
今度はエトワールが溜息をつく番だった。
「……わかりました」
アルフレートがそれで納得するのであれば、数日間は寝ていることにしよう。
エトワールはそう決めて、照れくささを隠すように布団の端を引き上げて口元を隠した。