僕の欲しい君の薬指
折角待ってあげたのにもう待てないや。唐突にそう云った彼は何かを諦めた様に制服のポケットを漁って見覚えのある鍵を取り出しさっさと目前の扉を開錠してしまった。
嘘でしょ…どうして鍵まで持っているの?新たな疑問が生まれたのも束の間、ガチャリとドアノブを下げて扉を開き、我が物顔で部屋に入る相手に腕を引かれ絶句したまま私もつられて帰宅した。
「わぁ、月弓ちゃんの香りでいっぱい。幸せ」
恍惚とした貌が余りにも綺麗で、気を抜いたら見惚れてしまいそうだ。彼の何気ない言動に心囚われた人間は数え切れない程にいるのだろう。
彼の纏っている甘い香りばかりがさっきから鼻を掠めるせいで、彼が大好きだと云う自分の香りを全く認識できない。それから、じわじわと確実に大きくなっている恐怖心のせいで呼吸が上手くできない。
「僕ウィッグとカラコン外してくるから、ちょっと待ってて」
私の家なのに、何故か案内される形でリビングに置いてある奮発して購入したお気に入りのソファーに座らされた。踵を返してそそくさと洗面所のある方へ行ってしまった彼。シンと静まり返ったリビングで私は盛大に息を吐いてクッションに顔を埋めた。
天糸君、明らかにこの部屋の間取りを熟知している様子だった。そもそもどうやってこの部屋の合鍵を手に入れたのだろうか。方法は分からないけれど、一つだけ確かな事がある。
住んでいるマンションを知っていたのも、オートロックを解除できたのも、部屋の番号を知っていたのも、合鍵を持っていたのも、この部屋の間取りが頭に入っていたのも、彼なら十分に有り得る話なのだ。
だから私は、どうしようもなく天糸君に怯えている。