伯爵令嬢の秘密の愛し子〜傲慢な王弟は運命の恋に跪く
不穏な再会
「…やあ、エリザベス。久しぶりだね。何年ぶりかな。」
本人なのかと訝しむ様子の変わった男の発したその声に、私はやはりテオの父親、ヴィンセントだと確信していた。けれども目の前の男と気楽な気持ちで、懐かしい話をする様な心の準備はまるで出来ていなかった。
私は自分でも喜びで抱きつきたいのか、恨みで罵りたいのか分からない複雑な気持ちで掠れた声を出した。
「…貴方が私の事を覚えていたなんて思いもしませんでしたわ。ほんの気の迷いで、私を手に入れて次の瞬間には捨てたんですもの。私は貴方に用はありません。お帰りください。」
そう言って、今にも崩れ落ちそうな脚を踏み出した。ヴィンセントは何も言わなかったけれど、その黙りこくった顔は怒りに震えている様に見えた。
「…エリザベス、4年だ。確かに私たちは4年前燃えるような恋に落ちたけれどね。だが、私が捨てたなどと言う戯言は聞きたくない。
私がこの数年、歯を食いしばる思いで過酷な状況に居る間、エリザベスはさっきの彼のような優男と戯れの恋をして楽しんでいたのだろう？」
私は眉を顰めてヴィンセントの顔を見つめた。以前も皮肉の利いた男だったけれど、今はもっと意味の分からない嫌味な男になっていた。まるで私がヴィンセントを捨てたような物言いをする彼の言葉に、胸が焼かれるようだったけれど、私はもう少し状況を知りたかった。
なぜ突然私の前に彼は現れたんだろう。私はその事が指し示す可能性に思わずゾッとして、足元が震えてくるのを感じた。
昼の明るい中で見ても、ヴィンセントはお父様より贅沢な衣装を身につけて財力にも長けている様だった。私が身動きできないでいると、ヴィンセントは私の住む小さな屋敷を眺めて言った。
「しかし、伯爵令嬢のくせして、どうしてこの様なこぢんまりした屋敷に来たんだい？まさかこんな所に住んでいるとか言うのではないだろうね？
私も昨日この国に戻ってきたばかりで、今日たまたま学院で君を見かけた時はあまりに驚いて、思わず後をつけてしまった。…君は何も変わっていなくて直ぐに分かったよ。」
ヴィンセントが私を変わらないと言い放ったことに、思わず笑いが込み上げてきた。ヴィンセントには私が見えていないのかしら。出会った時の世間知らずの夢見がちな17歳と、今の私では恐ろしいくらい変わってしまっていると言うのに！
その時私は、変わる、変わらない以前に、私たちはお互いの事を良く知らないのだと気がついてしまった。私たちはあの日数時間一緒に過ごしただけの、まるで赤の他人だったのだから。私は苦笑して言った。
「ヴィンセント、私も貴方も、違いが分かるほどお互いの事を知らないのよ。私は貴方の言う過酷な状況も知らないし、貴方も私の事など知らないでしょう。
そもそも私は貴方がどこの誰なのかも知らないのだもの。貴方は何も告げずに去った。そして二度と現れなかった。それが事実よ。そんな私に何を求めているの？」
するとヴィンセントは顔を青ざめさせて、薄く笑って呟いた。
「あの時私の前にいた可憐な乙女は、この4年の間にすっかり世慣れた女になったみたいだ。本当は20歳など嘘だと思っていたけれど、幼く見えただけだったみたいだね。
よく分かった。私はもう君には会わない方が良いだろう。何処かで会っても決して声は掛けないつもりだ。君もその方が好都合だろうね。」
そう吐き捨てる様に言って、ヴィンセントは瀟洒な馬車に乗り込むと、二度とこちらを見る事無く遠ざかって行った。私は今になってふらつく身体をなんとか玄関に滑り込ませて蹲ってしまった。
あの人にもう二度と会えないのが悲しいのか、それとも息子を産んだことが知られなくてホッとしたのか、私は混乱と安堵で息苦しいほどだった。そして、そのまま目の前が真っ暗になって意識が薄れていった。
気がつけば私は部屋のベッドに横になっていて、心配そうな侍女とナンシー、そして泣きじゃくるテオに見守られていた。
「ああ、お嬢様、良かった。お目覚めになられたんですね？今、お医者様が参りますから、まだ横になっていて下さいませ。何て顔色が悪いのかしら。お嬢様の手荷物はお部屋に置いておきましたからね。今温かなお茶を淹れて参りますわ。」
そう言うと侍女のマリーは慌ただしく部屋を出て行った。私は小さな手で涙を拭うテオの髪に、そっと手を伸ばして撫でながら言った。
「…テオ、心配かけてごめんなさいね？少し張り切って買い物し過ぎたみたいなの。そこにお土産のケーキがあるから、ナンシーと一緒にあちらで食べてきなさいな。ね？」
泣いて顔を赤くしたテオは、私の笑みを見てホッとしたのか頷くと、私の頬にキスして、ナンシーと一緒に部屋を出て行った。しばらくすると紅茶と一緒に、侍女に案内されて伯爵家が懇意にしているお医者様のキース医師がいらっしゃった。キース医師の診察を受けるために二人だけになると、先生は言った。
「こんなに憔悴したのは、母上である伯爵夫人が亡くなられた時以来だね。何かショックな事でもあったのかい？エリザベスは状況的に普段張り詰めているせいで、脆い部分があるからね。あまり落ち込まない様に、考え過ぎない様にしないといけないよ。
心の有りようは身体に影響するからね。あの時も下手すれば危なかった。エリザベスには守り育てなければいけないテオが居るんだ。あの子のためにも自分の健康には気を使いなさい。」
自分が生まれた頃からお世話になっているキース医師に、テオの父親に会って話をした事を言えなかった。そんな話をしたら、なぜか今後生活が一気に変わってしまう気がして、とてもじゃないけれど話題には出来なかった。
私はキース医師にお礼を言って、侍女のマリーが甘やかす様にベッドを整えてくれた後、一人静かに部屋の中で目を閉じた。眠れそうもなかったけれど、私の意識は今日会ったあの男の事に引っ張られていた。うとうとしながら、私はあの日のことを思い出していた。
本人なのかと訝しむ様子の変わった男の発したその声に、私はやはりテオの父親、ヴィンセントだと確信していた。けれども目の前の男と気楽な気持ちで、懐かしい話をする様な心の準備はまるで出来ていなかった。
私は自分でも喜びで抱きつきたいのか、恨みで罵りたいのか分からない複雑な気持ちで掠れた声を出した。
「…貴方が私の事を覚えていたなんて思いもしませんでしたわ。ほんの気の迷いで、私を手に入れて次の瞬間には捨てたんですもの。私は貴方に用はありません。お帰りください。」
そう言って、今にも崩れ落ちそうな脚を踏み出した。ヴィンセントは何も言わなかったけれど、その黙りこくった顔は怒りに震えている様に見えた。
「…エリザベス、4年だ。確かに私たちは4年前燃えるような恋に落ちたけれどね。だが、私が捨てたなどと言う戯言は聞きたくない。
私がこの数年、歯を食いしばる思いで過酷な状況に居る間、エリザベスはさっきの彼のような優男と戯れの恋をして楽しんでいたのだろう？」
私は眉を顰めてヴィンセントの顔を見つめた。以前も皮肉の利いた男だったけれど、今はもっと意味の分からない嫌味な男になっていた。まるで私がヴィンセントを捨てたような物言いをする彼の言葉に、胸が焼かれるようだったけれど、私はもう少し状況を知りたかった。
なぜ突然私の前に彼は現れたんだろう。私はその事が指し示す可能性に思わずゾッとして、足元が震えてくるのを感じた。
昼の明るい中で見ても、ヴィンセントはお父様より贅沢な衣装を身につけて財力にも長けている様だった。私が身動きできないでいると、ヴィンセントは私の住む小さな屋敷を眺めて言った。
「しかし、伯爵令嬢のくせして、どうしてこの様なこぢんまりした屋敷に来たんだい？まさかこんな所に住んでいるとか言うのではないだろうね？
私も昨日この国に戻ってきたばかりで、今日たまたま学院で君を見かけた時はあまりに驚いて、思わず後をつけてしまった。…君は何も変わっていなくて直ぐに分かったよ。」
ヴィンセントが私を変わらないと言い放ったことに、思わず笑いが込み上げてきた。ヴィンセントには私が見えていないのかしら。出会った時の世間知らずの夢見がちな17歳と、今の私では恐ろしいくらい変わってしまっていると言うのに！
その時私は、変わる、変わらない以前に、私たちはお互いの事を良く知らないのだと気がついてしまった。私たちはあの日数時間一緒に過ごしただけの、まるで赤の他人だったのだから。私は苦笑して言った。
「ヴィンセント、私も貴方も、違いが分かるほどお互いの事を知らないのよ。私は貴方の言う過酷な状況も知らないし、貴方も私の事など知らないでしょう。
そもそも私は貴方がどこの誰なのかも知らないのだもの。貴方は何も告げずに去った。そして二度と現れなかった。それが事実よ。そんな私に何を求めているの？」
するとヴィンセントは顔を青ざめさせて、薄く笑って呟いた。
「あの時私の前にいた可憐な乙女は、この4年の間にすっかり世慣れた女になったみたいだ。本当は20歳など嘘だと思っていたけれど、幼く見えただけだったみたいだね。
よく分かった。私はもう君には会わない方が良いだろう。何処かで会っても決して声は掛けないつもりだ。君もその方が好都合だろうね。」
そう吐き捨てる様に言って、ヴィンセントは瀟洒な馬車に乗り込むと、二度とこちらを見る事無く遠ざかって行った。私は今になってふらつく身体をなんとか玄関に滑り込ませて蹲ってしまった。
あの人にもう二度と会えないのが悲しいのか、それとも息子を産んだことが知られなくてホッとしたのか、私は混乱と安堵で息苦しいほどだった。そして、そのまま目の前が真っ暗になって意識が薄れていった。
気がつけば私は部屋のベッドに横になっていて、心配そうな侍女とナンシー、そして泣きじゃくるテオに見守られていた。
「ああ、お嬢様、良かった。お目覚めになられたんですね？今、お医者様が参りますから、まだ横になっていて下さいませ。何て顔色が悪いのかしら。お嬢様の手荷物はお部屋に置いておきましたからね。今温かなお茶を淹れて参りますわ。」
そう言うと侍女のマリーは慌ただしく部屋を出て行った。私は小さな手で涙を拭うテオの髪に、そっと手を伸ばして撫でながら言った。
「…テオ、心配かけてごめんなさいね？少し張り切って買い物し過ぎたみたいなの。そこにお土産のケーキがあるから、ナンシーと一緒にあちらで食べてきなさいな。ね？」
泣いて顔を赤くしたテオは、私の笑みを見てホッとしたのか頷くと、私の頬にキスして、ナンシーと一緒に部屋を出て行った。しばらくすると紅茶と一緒に、侍女に案内されて伯爵家が懇意にしているお医者様のキース医師がいらっしゃった。キース医師の診察を受けるために二人だけになると、先生は言った。
「こんなに憔悴したのは、母上である伯爵夫人が亡くなられた時以来だね。何かショックな事でもあったのかい？エリザベスは状況的に普段張り詰めているせいで、脆い部分があるからね。あまり落ち込まない様に、考え過ぎない様にしないといけないよ。
心の有りようは身体に影響するからね。あの時も下手すれば危なかった。エリザベスには守り育てなければいけないテオが居るんだ。あの子のためにも自分の健康には気を使いなさい。」
自分が生まれた頃からお世話になっているキース医師に、テオの父親に会って話をした事を言えなかった。そんな話をしたら、なぜか今後生活が一気に変わってしまう気がして、とてもじゃないけれど話題には出来なかった。
私はキース医師にお礼を言って、侍女のマリーが甘やかす様にベッドを整えてくれた後、一人静かに部屋の中で目を閉じた。眠れそうもなかったけれど、私の意識は今日会ったあの男の事に引っ張られていた。うとうとしながら、私はあの日のことを思い出していた。
