その涙が、やさしい雨に変わるまで
 三琴が辞職する真の理由は、極秘交際していた瑞樹との結婚が絶望となったから。
 もともと一般庶民の三琴とグループ会社創業家一族の瑞樹が、結婚できる可能性はひどく低い。
 瑞樹が本部長から副社長に昇格したときに、三琴は彼から交際を申し込まれた。だがこの付き合いは実を結ぶことはない、そう当時の三琴は思っていた。
 それでも瑞樹のことが好きだから、未来の悲恋を承知の上で瑞樹のオファーを受けたのだった。

(副社長とのことは、恋愛だと思えばいい)
(然るべきときに、然るべき相手が瑞樹さんの前に現れたら、潔く身を引こう)
(それからあとは、業務で彼に尽くしていく)

 いつかくる別れの日のことを考えれば、お付き合いしている一日一日がとても大事なものになる。きれいな宝石のようにキラキラと輝いてみえるこの貴重な時間を、三琴は丁寧に過ごしていくと決めた。

 そうやって、瑞樹との時間を大事に大事にして、三琴は彼からプロポーズされた。
  付き合いはじめて、ちょうど一年経った頃であった。

――今度の日曜日、挨拶にいこう。予定を空けておいて。
――え、挨拶? 誰に?
――僕の親に。会長夫妻でなく僕の両親に、挨拶にいくぞ!

 三琴の瞳が大きくなって、それを嬉しそうな顔をした瑞樹が覗き込んだ。
 瑞樹の秘書となって四年、常に影のように瑞樹のそばで控えていれば、もう業務の上では彼からの細かな指示は消えていた。それは恋人となったときも同じで、余分な言葉はいらない。ふたりだけの静かな空間が出来上がっていた。
 だから、『結婚』という単語がなくても、三琴にはわかったのだ。
 今までずっと隠れて付き合っていたが、それは終わりとなる。ついに終わりとなるのだ!
 三琴の中の悲恋の未来が消えた瞬間だった。

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