その涙が、やさしい雨に変わるまで
 三琴としては、すでに瑞樹と恋人同士であるから、基本構わない。会長夫妻の顔がちらついて、罪悪感がないとはいい切れないが。
 三琴の役目は脩也からのコンタクトを受け取って、業務の隙間に瑞樹との時間を確保するだけ。これは、通常の秘書業務と何ら変わりない。
 確かに、この方法でなら会長に知られることなく瑞樹は兄と会うことができる。

 極秘交際のことだけでなく、もうひとつ三琴は瑞樹と、兄脩也についての秘密を共有することになったのだった。




「ねぇ、松田ちゃん。社で何かあったの?」
 脩也から自分の処遇のことを指摘される。彼の声で三琴は我に返った。
「え、どうしてですか?」
「だって今日の松田ちゃん、制服着ていたから。それに、松田ちゃんのスマホ、つながらなかったし」

 今の三琴は副社長室から外されているので、もうあの秘書用のスマートフォンは持っていない。
 辞職後に脩也からコンタクトがきたとしても、辞職後なんだからお役目御免でいいかなと三琴は自己判断していた。わざわざ脩也に秘書辞職の挨拶をする必要もないだろうと。

 まさか即時の辞職ができず受付業務に就くだなんて思ってもいなかった。予定外である。また、秘書から外れてこんなに早く脩也のコンタクトがあるとも思ってもいなかった。

 あさりの酒蒸しがやってきた。ほくほくとした湯気がたなびいて、煮汁の香りが鼻をくすぐる。
 脩也は、これにも嬉しそうな顔になって、器用に殻付きあさりを剝き身にしていきながら説明した。

 帰国前にニューヨークから三琴にメールしたが、宛先不明で返ってきた。羽田空港に着いてから直接電話したが、これもつながらなかった。唯一の瑞樹とのコンタクト手段が全く使えなくて、ダメもとを承知で直接、社にやってきたのだと。

 ここから脩也は、勘付いたのだろう。ずばり、三琴に尋ねた。

「もしかして、松田ちゃん、秘書、解雇されたの?」

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