その涙が、やさしい雨に変わるまで
 記憶の欠如と頻繫に起こる片頭痛を、医師に相談する。相談はするも、検査結果からは異常を特定することはできない。ひとえに事故のショックもしくはその後遺症とだけしか、医師もいえない。
 一時的なものか、そのままなのか、戻るとしてもすべてなのかそうでないのか、それもわからない。
 様子をみましょうと告げられて、瑞樹も了承するしかなかった。

 記憶は消えても、生活様式を忘れているわけではない。生活は通常どおりに送ることができる。
 記憶のことがあったから、入院中に瑞樹は今までの業務について徹底的に見直した。プロジェクトの内容や企画開始から現在までの進捗状況、そのプロジェクトでの自分の立ち位置、行われたミーティングの議事録はもちろん、関係者の別案件についても逐一確認していく。
 
 それは現場復帰のためもあるが、三琴を蒼白にしてしまった罪滅ぼしのようなものでもある。社のために一生懸命働いている部下のことをすべて忘れてしまった上司なんて、最低である。
 見舞いにきたときの三琴の顔を、あんな絶望的な顔を、部下の誰ひとりとして、させたくない。

 美沙希は仕事に戻ったが、瑞樹の要望で毎日、仕事帰りに病室までやってきた。
 元看護師ということで、病人に対する美沙希の姿勢は完璧だ。瑞樹の様子をみて、必要以上に構わない。疲労の色がみえてくれば、遠慮なくストップを入れる。そんな完璧な美沙希の管理下で、瑞樹は記憶を再構築していく。

 その再構築過程で、失われた記憶は実は約一年半ほどだとわかる。この間がすっぽり丸々なくなっているというわけではなく、まだら模様で残っていた。そこまでわかれば、あとは抜けている分を可能な限り埋めていくのみ。
 日にちが経過していく中で、瑞樹に記憶が少しずつ蘇ってくる。このことに、医師のいう『一時的なもの』であると確信でき、ほっとした。
 こんな具合に美沙希の横で、過去書類と格闘して自身を取り戻していく瑞樹がいた。
 同時に片頭痛についても、疲労が蓄積したときに頻発するとわかってきた。瑞樹は美沙希に協力してもらい、疼痛コントロールを確立していった。

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