第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第4章

第1話

 それからの数日、私は小さな緑の館に籠もっていた。


長雨のせいで気分が落ち込んでいたのが、きっとそうさせた原因なんだと思う。


エミリーや他の数人と、何度か手紙のやりとりはしていたし、ステファーヌさまのお誕生日会で挨拶をした、2、3の男性からも手紙が届いている。


サロンや展覧会への個人的なお誘いと、アカデミーへの招待を念押しする内容だ。


書斎の窓の外には、遠くにノアのいる城が見える。


 あれからノアは、パーティーに戻って楽しんだのかしら。


もしかしたらノアにはもう、心に決めている人がいるのかもしれないな。


いつかあんなふうに、私に紹介したりするのかしら。


「僕の彼女をよろしく」なんて。


降り止むことのない小雨が、さらさらと耳に残る。


そんなノアの声と仕草を、やたら鮮明に思い浮かべてしまう。


「考えたって仕方ないものは、考えてもだめね」


 彼とのことは、自分の中で整理をつけなくちゃ。


とっくの昔にそうしたつもりだったのに、古傷が疼くように痛むのは、この長雨のせい? 


 書斎の机に戻る。


セリーヌに用意してもらった紙とペンを取り出すと、サラサラとそれを走らせた。


私の16歳の、誕生日会への招待状だ。


明日はこれをアカデミーへ行って、みんなに配ってこよう。


用が済めば、すぐに帰ってくればいいんだし。


「早くこの雨もやめばいいのに……」


 窓の外は、どこまでもどんよりと続く雨空だ。


私は書き上げた招待状を、もう一度数える。


いつもなら、ノアとポールやシモンたちの分も渡していた。


そうじゃないと、彼はアカデミーの友人たちと、なかなか会う機会もないから。


だけど今年は、どうしても彼らの分を書く気になれない。


エミリーと他二人の女友達に書いた、たった3通の招待状をそっと引き出しにしまう。


 翌日、アカデミーへやって来た私は、サロン前の通路で壁に身を隠していた。


いつもより早めに来たおかげで、あまり人もいない。


普段は見かけないご老人たちが、ゆっくりお茶をしている。


エミリーはまだかしら。


もしかして今日は来ない? 


しまった。


それを確認してから来ればよかった。


まぁ、会えないなら会えないで、誰かに伝言を頼めばいいだけの話しなんだけど……。


「アデル。何してるの?」


 ノアだ! 


慌てて振り返る。


「な、なんでノアがこんなところにいるの!」


「なんでって……。アデルこそ、どうしたの?」


 一番会いたくない人に会ってしまった。


ノアが私の手を取ろうとするのを、掴まれる前にパッと避ける。


「あ、アカデミーに来ただけですけど?」


「ねぇ、アデル。話しがあるんだ。ちょっといいかな」


 そう言って、真剣な顔をしてじっと見つめられても困る。


私には話しなんてない。


「ごめんなさい、ノア。私、これから大切な用事があるの」


「大切な用事って?」


 私はスカートのポケットから、封筒を取りだした。


「この手紙をこっそり届けたいのよ。だからこうして、ここで見張っていたの」


「それは僕と話すより大事なこと?」


「そうよ。大事なことだわ」


 だって今は、ノアとは話したくないから。


キッと見上げた私に、彼は小さくため息をついた。


「アデル。君が怒ってるのは分かるけど、僕は仲直りがしたいんだ。君の誕生日までにね。じゃないと僕は、どんな気分でその日を迎えたらいいのか分からないよ」


「まぁ、丁度よかったわ。私もそのことで話しがるの」


 私はその3通の手紙を見せる。


「実はこの手紙、私のお誕生日会の招待状なの。今年は仲良しの4人だけでやることにしたから」


「それはどうして?」


「女同士じゃないと、出来ない話しもあるの」


「その日の夜は? 僕はちゃんと、いつものように予定を空けて……」


「だって、最近はとっても忙しいのでしょう?」


「忙しいって、どういうこと?」


 じっとのぞき込む視線に、私は目を反らす。


忙しいって、そんなの言わなくっても分かってるくせに。


「仕事はやりくりしてる。君の誕生日なんだ。そのくらい僕にも許される」


「だって、去年の誕生日だって、結局シモンたちと乗馬に出かけたまま帰ってこなくて、やっと戻ってきたと思ったら、昼寝だけして帰ったじゃない」


「そ、それでも楽しみにしてたんだ!」


「私と会いたいんじゃなくて、シモンたちと遊ぶ口実が欲しいだけなんでしょ。そんなの、これからは自分で都合つけてよね」


「アデル!」


「とにかく、これからは何でも私を理由にしないで。ノアにはノアの世界があって、私には私の世界があるの。それをこの間、ステファーヌさまたちから、教えてもらったばかりだわ」


 ノアが怒ってる。


ノアが怒っているけど、私も腹を立てている。


私はもう、ノアの言いなりにはならない。


「……。分かった。じゃあ、君の今年の誕生日には、僕は呼ばれないってことだね」


「そうね。私だって自分の誕生日くらい、演技も遠慮もしないで気楽に過ごしたいわ」


 ノアはくるりと背を向けた。


従者たちは、その後を慌てて追いかけてゆく。


私もそこへ背を向けた。


だって、本当のことだもの。


私と会う時間がなくても、他の女の子と会う時間は確保されている。


いくら私が彼から庇護を受ける身であっても、心は自由なんだって、そこだけは守っていたい。


「あれ、アデル?」


「エミリー」


 ようやく現れた彼女に、招待状を託す。


「ごめんなさいね。今日は少し体調がすぐれないの。これを他の二人にも渡しておいてくれないかしら」


「アデルからの誕生日の招待状ね。えぇ、分かったわ」


「じゃあね。皆さんによろしく」


 本当に気分が悪いんだもの。


嘘はついてない。


ノアともアカデミーの好奇の目からも、逃げたいだけ。


その準備を理由に、私はまた小さな緑の館に引きこもっている。
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