そして消えゆく君の声
 ナースステーションに声をかける時はつい冷や汗が出たけれど、お団子頭の看護士さんは特に気にした様子もなく笑顔で部屋まで案内してくれた。

 軽やかな足音の響く廊下は広く清潔で、白い壁には外国の風景画がかかっている。

 自然に差し込む日の光は病院独特の重苦しいイメージとはかけ離れていて、私はほんの少し肩の力を抜くことができた。


 良かった。
 良かった。寂しい場所じゃなくて。


「こちらです」


 ボールペンにぶら下がったビーズがお辞儀にあわせて揺れる。騒ぎ出した脈を深呼吸で落ちつかせて一気に引き戸を開くと、風にはためく卵色のカーテンが視界に広がった。


 ゆらめくレース。
 ガラスの花瓶に生けられた真新しい花。


 そして、ベッドに横たわる細い肩。


 鼓動が跳ね上がる。

 名前を呼ぶことすらためらう静けさが、見えない膜になって部屋を包んでいた。


 ほこり一つないフローリングもぴったりと壁に寄せられたパイプ椅子も一枚の絵のようだった。足を踏み入れることができず、ただ息をつめて入口に立ち尽くす、と。


「あ……」


 眠っているのだとばかり思っていた後ろ姿が、ゆっくり首を回してうつろな目で私を見た。


 時が止まるような感覚。
 血の気のない唇が、わずかに開く。



「もう会えないかと思ってた」



 静かに笑う落ちくぼんだ目。
 痛々しいほど白い肌は、今にもシーツに溶けてしまいそうだった。
 
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