月がてらす道
 その力と目の色に、みづほの背筋に冷たい汗がつたった。不穏すぎる空気に、周りの誰も声をかけられずにいる。と、離れた場所でざわつく様子があった。その気配がだんだん近づいてきて、周囲にまで届く。
 その源が、走り寄ってきてみづほと本庄の間に割って入った。
 「やめてください、迷惑じゃないですか」
 「広野くん」
 「引っ込んでろ、今話してるのはこっちだ」
 押しのけようとする本庄の手を押しとどめ、尚隆は言う。
 「昨夜のことでしょう、あれは俺が言って送っていったんです。つきまとう人がいるからって」
 最後の部分であえて本庄を指さすと、にらまれた。だが事実だし、みづほに手を上げようとしたのも周りが見ている。尚隆は続けた。
 「ここは社内恋愛まずいんでしょ、それに彼女はとっくに断ってるって聞きましたよ。なのにしつこくするの、本庄さんにとっても良いこととは思えませんけど。上に伝わったら面倒なんじゃないですか」
 本音ではあまり自信がなかったが、虚勢込みで勢いづいた振りでまくしたてると、本庄は返す言葉に詰まったようだった。上に伝わったら、の部分が効いたのだろうか。
 その時みづほが、斜め後ろ──尚隆がかばうようにしていた位置からすっと踏みだし、息を吸い込んで言った。
 「本庄さん、申し訳ないですけど、私はあなたと付き合う気はないんです。もうこれきりにしてください」
 きっぱりとした言葉に、周囲にいる誰かが「おお」と聞こえる声でつぶやいた。本庄がそちらを向いた途端に静まったので、誰だかはわからないが。
 こちらに向き直り、みづほを、そして尚隆を睨みつける。
非常に何か言いたげではあったが、周囲の雰囲気と増えてくる人数に、争うのは得策ではないと判断したのか実際には何も言わなかった。しつこいほどに睨んできた後、ぼそぼそとなにごとか、悪態にも聞こえるようなことをつぶやきつつ、いまいましげな視線を最後に投げて去っていった。
 充満していた緊張の空気が、ふうっとほどける。
 ざわめきも、先ほどよりは開放感と明るさをともなっていて、何人かはみづほに近づいてきた。
 「大丈夫だった?」
 「何なんだろうな、あいつ」
 「よくはっきり言ったね」
 それぞれに適当な声をかけては「じゃ」と離れていく。決して広くはない廊下に残ったのは、みづほと尚隆だけになった。
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