月がてらす道

 どちらからともなく顔を見合わせる。視線がまともにぶつかって、どきりとした。
 「──ごめんなさい」
 気づくと、謝っていた。
 「なんで?」
 「私が、余計なこと頼んだから」
 迷惑をかけるつもりはなかった。しかし、昨夜あの時に遭遇したのが尚隆ではなかったら、駅までついて来てとは頼まなかっただろう。当然、家まで送られることにもならなかったはずだ。
 尚隆は首を横に振った。
 「余計なことなんて思ってない、あの時は必要だっただろ。それに送ってったのは俺が言い出したことだし」
 「でも、それだって私が言ったから、広野君にまで迷惑」
 「だから、迷惑なんて思ってないから」
 たまりかねたような調子で尚隆が言う。その、予想を超えた強い口調に、みづほは目を見張った。
 こちらの反応に、尚隆は一転、気まずそうに目をそらす。自分でも今の言葉、というか言い方は予想外だったのだろうか。なんだか、耳が赤くなってきている気までする。
 「広野くん?」
 「……とにかく、俺は迷惑とか思ってないから。もしあいつがまたなんかしてきたら、すぐ知らせて」
 そう繰り返し、付け加えて、踵を返した。かなりの早足でエレベーターホールへと去っていく。
 その背中が消えるまで、つい、見送ってしまった。はっと気づいた時には始業のチャイムが鳴る直前だった。まずい。今日の朝礼で訓辞を述べるのはみづほの役目なのに。
 慌てて扉を開けてシステム課に入ると、中にいた全員の目が一斉に集まった。それで当然ではあるし──見に出てくる人がいなかったことがむしろ不思議だ──居心地悪さは半端なかったが、あえて何でもない顔をして、少なくともみづほ自身は精一杯そのつもりで、自分の席に着く。
 「遅くなってすみません。おはようございます」
 毅然としたみづほの態度に、誰もが呆気にとられた顔をした。挨拶を返すことも忘れるほどに。
 「昨夜、ある本を読んだんですが──」
 みづほは気にならなかったふりを貫き、訓辞を述べるための前振り話を始めた。

 昼休み。これまた当然ではあるが、食事に一緒に行かないかと同僚や後輩から誘いを受けた。今朝のことについて詳しく聞き出そうという魂胆に違いない。
 しかし説明する気にはなれなかった。みづほ自身が辟易しているのだ。今日のシステムチェックが終わっていないからと半分は本当の理由を盾に、誘いを断る。
< 22 / 101 >

この作品をシェア

pagetop