冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


 それから数日、職場では緊張のしっぱなしだった。

 朝は時間差で通勤し、もちろん一緒に出勤などしない。
 課内では、これまでと少しも態度が変わったりしないようにと細心の注意を払う。気を抜けば『あの人と一緒のベッドで寝てるんだ』などと、職場での九条を見るたび不埒なことを思ってしまったりして。
 でも、職場でのあまりの九条の容赦のなさに、そんな浮き足だつ状況も数日で終わった。

 週末にようやく美琴と会うことが出来た。お互いに仕事が残っていたから、20時にいつも二人で行く居酒屋で待ち合わせた。

「今日は誘ってくれてありがと」

時間通りに美琴がやってきて、早速生ビールで乾杯する。

「ううん。こっちこそ、時間作ってくれてありがとう」

どうしても直接顔を見て、九条とのことを報告したかった。

「で、話って何?」

身を乗り出して美琴が待ち構えている。

「実は、九条課長と付き合ってて。今、一緒に暮らしてる。って言っても、三週間の期間限定だけど」

もったいぶってもしょうがない。単刀直入に報告した。

驚かれるだろうか。喜んでくれるだろうか……。

美琴の反応を想像したけれど、目の前の彼女からは何の反応もない。

「……美琴?」

そのまま瞬間冷凍したように動かなかった美琴が、突然声を上げた。

「えーっ!!」
「こ、声が大きい!」

店内にいた人全員が一斉に振り返りそうなほどの声に、手のひらを突き出す。

「だ、だってあまりに急展開で。声にだって出ちゃうでしょ。何がどうなってるの?」

美琴がただでさえ大きな目をまんま丸くしている。

「今まで何も言えなくてごめん。一刻も早く報告したかったんだけど」
「今こうして伝えてくれてるからそれはいいんだけど、ちゃんと説明して。どうやって二人はそんなことになったの? あ、もしかして、麻子がしてる香水、課長からとか?」
「何で分かるの?」

この日、初めてつけてみたのだ。それがどうして課長からだと分かるのか。

「これまで、麻子は香水なんてしてなかったし。何かきっかけがないとしないでしょ? 控えめで爽やかな香り、麻子のイメージにぴったり! 九条課長も麻子のこと好きだったってことだよね? きゃーっ!」
「ちょっと、落ち着いてよ。別に、好きだって言われたわけではなくて、私の想いに応えてくれたっていうのが一番近い気がする」

一人勝手に壮大にロマンチックな想像をしそうな美琴を止めるため、かいつまんでこれまでの経緯を説明した。

「――というわけで、いろんな成り行きが重なって付き合うことになって。課長には本当に迷惑をかけてるし感謝してる」
「愛だね。愛」

美琴は勝手にうっとりしたような顔で一人何度も頷いている。

「麻子のピンチを颯爽と助けてくれて。さすが大人の男。セクハラ野郎のおかげだし、元彼と結愛のクズ二人はザマアみろだわ」
「とにかくこれ以上課長には迷惑をかけられないし、このことは他言無用でお願いします!」

美琴に手を合わせて深く頭を下げた。

「課長から絶対に社内でバレないようにしてくれと言われてるし、私もそうしたいから」
「そんなの分かってる。二人の立場からも仕事やりづらくなるしね。そこは信用してくれていい。それよりまず、麻子、よかったね」

目の前の美琴が改めて麻子に言った。

「うん。ありがとう」

親友にそう言われると、心からこの状況に幸せを感じられる。
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