冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「私は公私混同は絶対にしない。選んだ理由は一つ。君にその能力があるから」
強く握りしめられたままで九条に振り返る。
「四月から君の仕事ぶりをしっかり見て来た上での判断だ。他に選ばれた人間とまったく同じ条件だ」
見上げて来るレンズ越しの眼差しを見つめる。
課長は、もしかして、私が誤解しないようにしてくれている――?
恋人だから優遇したと思わないように。引け目や後ろめたさを感じないように。
「課長――っ?」
急に、ぐい、と掴まれていた腕を引っ張られると、そのまま九条の腕の中に囲われた。
「……だから、正々堂々、しっかり仕事するんだぞ」
「は、はい」
背後から耳元で囁かれ、ぎゅっと抱きしめられる。背中にぴたりと触れた九条の胸の鼓動が伝わって、心に無意識のうちに横たわっていた緊張がほどけていく。
「せっかくいただいた大きな経験ができる機会ですから、精一杯頑張りますよ!」
どれだけ単純なのか。こうして抱きしめてもらえたら、あっという間に嬉しくなって元気になる。鎖骨のあたりで交差された九条の腕にそっと触れた。
「それで、課長に認めてもらうの。出来ることなら、『あれ、こんなにいい女だったか?』って思わせて『どうしたものか。私としたことが、寝ても覚めても麻子のことを考えてしまう』って私に夢中にさせるんですよ!」
抑揚のない低い声で、大袈裟に演技した。
「……その真似、やめてくれないか?」
九条が優しく麻子の頬を引っ張る。そして、珍しく声を上げて笑っている。
「課長が、私のせいで焦ったり、余裕がなくなったりして、感情を曝け出してくれるのを見るのが夢なんです」
完全なる願望と妄想。そして、心の底からの本音。
「……今の私は、そう見えない?」
少しの間の後、九条が囁くように聞いた。
「課長は、いつだって課長です。いつも落ち着いていて冷静で。私にとっては凄く凄く大人の男の人。追いつけないから、私がずっと追いかけ続けるんだと思うんです」
そう言って、ふっと笑った。
「だから、夢なんですよ」
骨ばった長い指が麻子の唇に触れたと同時に、九条の唇が重なる。
「勝手な夢だな」
「か、課長……んっ」
少し強引なキスに咄嗟に声を上げても、よりそれは深くなって。息もできない。
「そんなこと言って、勝手に追いかけ続けて疲れたらどうするんだ? その時は、君を好きだと追いかけて来る他の男に身を任せる?」
「……そんなことしないし、そんな人、いませ――っ」
離れたと思った唇は、僅かに乱暴になってまた塞ぐ。
「君は、何も分かってない」
何が、分かってないっていうの?
聞きたくても、熱く濡れたものが口内を激しく蠢いて、言葉にできない。九条のキスは思考を奪う。いつまでもしてほしくて、その唇に溺れてしまうのだ。