冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
その夜、ベッドに入ってちょうど明かりを消したところで、隣にいる九条から声が聞こえて来た。
「……丸山は、最近どうだ?」
「丸山君ですか? どう、と言うのは……」
「以前と比べて、何か変わったところはあるか?」
暗がりの中表情はよく見えないけれど、その声はいつも聞いているものと変わりはない。
「……そうですね。ここ最近、少し変わったような気がします。以前は、合理的過ぎるところがあったんですが、今はどんな仕事でも前向きに取り組んでくれています。でも、課長も彼を認めているから今回のプロジェクトメンバーに選んだんですよね?」
「一番下っ端のくせに仕事を選んでいるところがあったが、分析力と企画力はあるからな。あの野心は、今どき珍しいかもしれない」
丸山からは、上に行きたいという向上心をひしひしと感じた。だからなのか、評価されずらい雑用はやりたがらないふしがあった。
「以前の彼は自分の出世にしか興味がないように見えたが、考えが変わったみたいだな」
「はい。自分の評価の損得ではなく、人と協力することで最大効率を考えてくれるようになりました」
"中野さん、何でも俺を頼ってください。雑務でも小間使いでも"
今では、そんなことを言うようになっている。少しどころか、大きな変化かもしれない――。
「……その変化の理由は、おそらく」
不意に大きな手のひらが、頬に触れる。暗闇に目が慣れて、間近に九条の顔があるのに気付いた。
「ん? 何ですか?」
九条のレンズ越しではない目を探るように見てもそれはすぐに伏せられる。そのまま、九条が麻子を自分の胸に引き寄せた。
「課長――」
「いや。何でもない」
本当は、何を言おうとしたのだろうか。何を言いたかったのだろうか。
「心配しないでください。精一杯、後輩指導しますから。課長のおかげで、私、前みたいに、仕事を何でも引き受けて背負ったりしなくなったんです。ちゃんと、丸山君にも働いてもらうから。彼もそのつもりですよ」
九条は何も言わず、ただ、その手のひらが何かを語るように麻子をきつく抱きしめる。
「厳しくし過ぎたら、"鬼先輩"って言われるかも」
そう言って笑うと、九条がぽつりと呟いた。
「鬼を好きだと言う奴もいるからな」
「あ……それ、私のこと言ってるでしょ! 鬼を好きだという健気な子が好きだと言ったらどうですか!」
九条から『好きだ』と言われたことがないことを密かに気にしている。どさくさに紛れて、冗談で誤魔化しながら言葉にしてしまった。
「健気って、まさか、麻子のこと?」
「他に誰が? 意地悪言われても厳しく叱責されても冷ややかな目で見られても、課長のことが好きな私以外に誰がいるの? こんな、健気な子はいないですからね!」
だから、私を手放さないでね。
額を九条の胸にぐいぐいと押し付ける。一番言いたいことを口にする代わりにそうした。
――そうだな。いつか、誰かに取られてしまいそうだ。
独り言のように囁いたあと、少し痛いくらいに麻子を抱きしめて眠むりについた。