冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「あ! 麻子!」
会議が終わった後、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。人が行き交う場所に関わらず大きな声で呼ぶから、そこにいた人たちが一斉に振り返る。
「そんなに大きな声出してどうしたの」
廊下を歩く社員たちの視線が気になって、美琴の元に駆け寄った。
「だって〜、今日、麻子の誕生日でしょ! おめでとう!」
「あ……そう言われれてみれば」
そうだった。
「……まさか忘れてた?」
「完全にね。ほんの少しも頭になかった」
そう即答したら、美琴が呆れえたように麻子を見つめた。
「だって……彼は? 誕生日の約束ないの?」
美琴が麻子をひとけのない階段の踊り場に連れ出す。
「ないよ。あるわけない。だって、私の誕生日知らないし」
「はぁ!」
美琴が大きな瞳をまんまるく開く。
「もう、いちいち大きい声出さないでよ」
「自分から教えなよ」
「そんなの嫌だよ。恥ずかしい」
「だって、誕生日だよ? クリスマスよりホワイトデーより、他の何より大切なイベントだよね?」
「子供じゃあるまいし。それに、ただでさえ忙しい人に余計なことで煩わせたくないし」
それも事実。でも、なんでもないもののようにスルーされるのも怖くて、言いたくないというのもある。
「……はぁ。つまんないわ。そんな控えめなことでいいの? 少しは甘えたら?」
「十分、甘えてますから」
「誕生日プレゼント、彼女ならほしいでしょ?物のためじゃない。記念になるものなんだよ? 誕生日なら指輪とかさぁ」
「指輪?!」
『指輪』というワードに思わず過敏に反応してしまった。やはり、女として恋人からもらう指輪には心ときめいてしまうものなのかもしれない。
「恋人だからこその、愛の証」
「何言ってんの。これ以上負担かけられないって。もう十分甘えてるんだから」
そもそも九条の部屋に住まわせてもらっている。結愛に金銭的援助もさせている。十分世話になっていると言える。
「……なんだかなぁ」
「美琴がそんなにがっかりすることないでしょ? じゃあまたね」
腕を組んで難しい顔をしている美琴に笑顔で手を振る。まだ納得がいかないようだけれど、こんなところで話すことじゃない。美琴を残し、その場を後にした。