冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
誕生日――本当にすっかり忘れていた。それくらいにここ最近は怒涛の毎日だった。
一年前は、祐介が祝ってくれたっけ……。
仕事で忙しかったから、アパートで誕生日ケーキでお祝いをしてくれた。祐介がケーキを買って部屋で待っていたくれたのだ。
あの時は、祐介の心遣いが嬉しかった。忙しい自分を認めてくれて受け入れてくれているのだと思っていた。
でもそれはこちらの思い上がりで、傲慢な部分もあったのかもしれない……。
つい過去の記憶が蘇って、胸の奥に感じた鈍痛を慌ててかき消す。
今の私に誕生日なんて関係ない。
仕事だ、仕事――。
ただでさえ夏期休暇が目の前に迫っている。それまでに終えておかなければならない業務が山積みだ。いっそのこと休みなんていらないのに、あいにく休暇を取ることは義務付けられている。
そう言えば、課長はいつ休みを取るんだろう……。
夏休みのことが話題に上ったこともなかった。おそらく九条もそれどころではなかったのだろう。より歩く速度を上げて廊下を通り抜けた。
定時はあってないようなもの。
毎月締め切りがやって来るルーティーン業務を素早く処理していく。TO DOリストの半分にチェックが入っているのを見て、パソコンのキーボードから手を離した。ゆっくり腕を上げて背筋を伸ばす。窓の外に目をやると、完全に陽は落ちていた。おそらく夕方は過ぎている。そう思って時計を見たら、20時を指していた。
お腹すいた。
ここまでノンストップで仕事をしていた。さすがに集中力も切れきたし空腹も誤魔化せない。軽く夕食を取ろうと席を立ったところだった。
「中野さん!」
「丸山君、どうしたの?」
自分の席に戻って来た丸山がどこか慌てたように麻子に声をかける。
「これから、休憩ですか?」
「ああ、うん。少しお腹に入れようと思って」
「ちょうどよかった。俺も、これから何か食べようと思ってたんです。一緒に出ます」
有無を言わさぬ雰囲気に驚きつつ、断るようなものでもない。特別拒否することもなく並んでオフィスを出た。
「それにしても、マジで忙しいですよね。いつもより早めに仕事あげなきゃいけないし」
「そうだよね。夏休みあるし、そのあとはプロジェクトだし」
エレベーターホールに向いながら言葉を交わす。
「監査部行ったり財務行ったり、駆けずり回って疲れました。最近運動不足かも」
「関係部署多かったよね。全部回ってくれてありがとう」
疲れたと言いながら、心なしか楽しげな丸山に麻子も笑みを浮かべる。棘のなくなった丸山は、気のいい青年だ。
「じゃあ、頑張ったご褒美、ねだってもいいですか?」
「ご褒美?」
そんなことをどこか緊張しながら言ってくるものだから、こちらまで身構えてしまう。
「どんなこと? 難しいのはダメだよ」
「全然難しくないですから安心してください。そんなに時間は取らせませんから」
「それならいいけど……」
「ありがとうございます!」
ほっとしたようにその顔をくしゃくしゃにして笑う。そんな丸山に自分もつられて笑ってしまった。