冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

 それから近くのコーヒーショップに行き、サンドイッチとコーヒーを買った。

 オフィスに戻ると、九条が自分の席で既に仕事をしていた。日中は、取引先や関係企業を周り、戻れば大量のデスクワーク。九条の多忙さを改めて思い知る。

 ノートパソコンのディスプレイに視線を向け忙しなくキーボードを叩いていた九条が、手を止めた。そのまま眉間の辺りを指で押している。
 連日の暑さの中で、神経を使う仕事の連続。さすがの九条でも疲れが出て当然だ。いつものぴんとした姿勢が、心なしか疲労が滲んで見える。 ただでさえ弱みを見せない人だ。
 
一緒に暮らしているというのに、世話になるばかりで、何もしてあげられていない――。

「――中野さん、食べないんですか?」
「あ、うん、食べるよ」

ついじっと九条を見つめてしまっていた。丸山の声で視線を手元に戻し、サンドイッチの包装を開いた。

「チョコレートも是非食べてください」

せっかくもらったものだし、ここで食べておいた方がいいだろう。

紙袋から箱を出し、丸山の視線を受けながら一つ口に入れた。

「本当にここのチョコレート美味しいよね。ありがとう」

麻子が食べるのを見届けた丸山は、満足そうに笑った。

「中野さんを笑顔にできてよかった」

なんだろう。
そんな笑顔を丸山に向けられたことがなくて、心の中に正体の掴めない違和感が落とされる。

気にし過ぎ、かな……。

丸山の言葉に、曖昧に笑った。


 その後、高速で仕事を処理し、九条よりも先にオフィスを出た。

 さきほど見た九条の姿が脳裏にこびりついて離れなくて。何かをせずにはいられなかった。


 部屋に着くなりキッチンへと直行する。

 冷蔵庫に残る、緑黄色野菜に果物をジューサーにかける。レモンは疲労回復にいい。搾り汁を加え、ハチミツも混ぜる。
 遅い時間にガッツリ食事を取るのは、胃に負担がかかる。だから野菜ジュースを作ることにしたのだ。
 
コップ一杯なら、飲んでくれるよね……。

ゴーゴーと音を立てるジューサーを見つめて、飲んでくれることを願った。

 その時、玄関からドアの開く音がした。

「ただいま……何をしてるんだ?」

肩を叩きながらリビングダイニングに入って来た九条が、麻子に視線を寄せる。全身から疲労が滲み出ていた。

「野菜ジュースを作ってるんです。課長に飲んでほしくて」

上着と鞄を椅子に置くと、九条がキッチンにやって来た。

「……こんな時間から? 仕事で疲れてるのにそんなことしたら、余計に疲れるだろ」

麻子のすぐ隣に来たと思ったらその声が耳元で聞こえて、ふわりと後ろから抱きしめられる。

帰って来るなり、どうしたんだろう?

心拍数が上がるのを感じながら、出来上がったジュースをグラスに注ぐ。

「い、いえ。そんなに手間のかかるものじゃないので。私よりよっぽど課長の方が疲れてるでしょ? 栄養価も高いし疲労回復にも効くんです」
「疲れているように見えた?」
「はい、とっても。私にはこんなことしか出来ないんですけど……」

九条の腕の中でぼそぼそと答える。

「そんなに疲れてるわけじゃないから、心配するな。でも、せっかく作ってくれたんだもんな。ありがたくいただくよ」
「はい!」

その言葉にホッとした勢いでグラスを九条に渡すと、その場で一息に飲み干した。

「もっと苦味があるかと思ったけど、美味かった。ありがとう」
「良かった」

九条が空になったグラスをシンクに置くと、そのまま麻子を抱きしめた。

「か、課長……?」

その行動に驚いていると、身体がふっと浮き上がる。

< 123 / 252 >

この作品をシェア

pagetop