冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

 翌朝、早くから街に出た。
 
 通りに出ると、交通渋滞はかなりのもので、タクシーを捕まえるのにも一苦労。それも人々がひしめきあう喧騒の中、ジャカルタを象徴している。

 最初に訪れたのが『イスティクラル・モスク』
 アジア最大級のモスクと言われている。その外観にまず圧倒された。均整のとれた建物はとても美しくて、どこか近代的にも見える。それでいて荘厳な雰囲気を醸し出すのだから不思議だ。
 観光客も中に入って散策できるようになっている。そのために肌の露出を抑えた服を着て来た。

 壮大な建物の中央にある直径45メートルの巨大なホールに足を踏み入れる。そこにいるだけで、厳かな気持ちになる。どこまでも続く広間でイスラム教徒たちが祈る様子を見つめながら、ただ立ち尽くした。

「宗教は文化と密接に結びついているからな。信仰を理解すること。まずはここからだと思って」

隣に立つ九条の言葉に頷く。日本に住んでいると信仰心について考えることなんてない。だからこそ知ろうとする気持ちが必要なのかもしれない。


「――モスクのすぐ向かいに聖堂があるなんて!」

次に訪れたのが、モスクのすぐ近くあったジャカルタ大聖堂。イスラム教徒のシンボルの向かいにカトリック教会があるのだ。そのことに驚いた。

「インドネシアは、多様性の中の統一を国是としているからな。こういうところもインドネシアらしい」

九条の説明にふむふむと耳を傾ける。どう見てもアジアのものとは思えない建築様式の聖堂。正反対のものがこんなに近い場所で共存している。

「インドネシアはオランダの植民地だった。この大聖堂はオランダ統治時代に建てられたものだ。100年以上の歴史がある」

この旅が始まってから改めて思う。九条は本当に博学だ。

「インドネシアでは宗教は生活の一部だから。国民はどの宗教を信仰するかは自由だ。そこも多様性を認める国の証だな」
「インドネシア国民の8割以上がイスラム教を信仰していますよね」
「そうだな。だから、イスラム教について知っていて損はない。宗教上の食習慣はその中でも特に重要だ。でも、さっきも言った通り信仰は自由だ。ビジネスの場ではイスラム教徒だと決めつけない方がいい」
「はい」
「じゃあ、大聖堂にも入ってみようか」

九条がそう言って麻子の手を取った。

大聖堂というだけあって、高い塔が特徴的だ。礼拝堂へと向かっていると、婚礼衣装を来た人が現れた。

「結婚式をしてるんでしょうか」
「そうみたいだな。残念だが、中には入れない」

立ち止まりため息と共に九条がそう漏らす。

「外から見られただけでも十分。イスラム教とキリスト教を同時に感じられるなんてなかなかできない経験ですから……」

幸せそうな新郎新婦がはっきりと視界に入って来る。

「わぁ……日本でよく見るウエディングドレスと違って素朴で、それがなんだか素敵だな……」

雑誌やテレビで見かけたことのある、装飾が凝ったものではないシンプルな衣装。それがありのままのその人の美しさを表しているみたいで、余計に心惹かれた。そもそも自分が華美なものよりシンプルなものの方が好きだと言うのもある。

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