冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
ジャカルタでは高層ビルの間にも、昔ながらの屋台が並んでいたりする。ここモスクの近くにもたくさんの屋台が並んでいた。
「なんだかお祭りみたいで楽しい」
たくさんの人が美味しそうに料理を頬張っていた。庶民の台所そのものだ。
「こういう雑多な感じ、好きです」
「せっかくだから何か食べてみよう。地元の料理を食べるのは旅行の醍醐味だ」
麻子の腰を抱きながら歩く九条がその長身の背を屈め言った。
「やった!」
思わず手を叩いて声を上げると、九条がくすりと笑う。
「君は食べるのが好きだよな」
「食ベることは生きていく上で大事なことですよ」
「確かにそうだな」
大真面目に答えると、大袈裟なほどに九条が頷いた。
「何を食べましょうか?」
イタズラっぽくそんなことをいう九条に満面の笑みを向ける。
「さっきから、たまらなく食欲をそそる匂いがして来てるんですよ。その匂いを辿っていいですか?」
「どうぞ。君の仰せのままにしよう。私は君に奉仕すると言ったんだから」
その言葉はこの日も有効らしい。
「じゃあ、来て!」
九条の腕を引っ張り歩き出す。
「……ここの匂いだ。遠くから私を呼んでたのは」
「君の食に対する嗅覚はどうなってるんだ」
数ある屋台の中で足を止めた。
「これが食べたいな。いいですか?」
「ああ、“ミー・アヤム“だな。いいよ」
「ミーアヤムって言うんだ……」
ラーメンのような麺の上に具材たっぷりのソースがかけられている料理だ。このたまらない匂いはソースから来ていたのだ。
「トッピングを選べるみたいだけど何がいい?」
「じゃあ……」
周囲で食べている人を見回してみる。
「あの肉団子が美味しそう……肉団子で!」
「承知しました」
九条はインドネシア語で店員に注文をしていた。
注文し終えると、店員が素早く麺を茹でソースをかける。その上に肉団子をトッピングしてくれた。
「このソース、何でで来てるんでしょうか。醤油かな。にんにくの香りもする。この香りは反則ですよ。お腹空いてなくても延々食べられそう」
すぐ近くにあったテーブルに席を取り二人で座った。
「食べてみたらどうだ?」
「はい。ありがとうございます!」
目の前の料理のせいで口の中が唾液でいっぱいになる。
「んー最高」
「……その顔。食べる前から幸せそうだな」
頬杖をついて麻子を見ていた九条が、不意に麻子の髪に触れた。その眼差しは柔らかくて優しい。
「一緒に食べましょう」
二人で肩寄せあって食べる。
「……やっぱり美味しい!」
「うまいな」
九条もそう思わず声を漏らしていた。
「ですよね? 癖になる味だな。私、毎日でも食べられるかも!」
「君は十分ここでも暮らせそうだな」
「私、どこでも行けますよ。雑魚寝もできるし、たいていのものは食べられるし。身体も丈夫なんで」
九条がじっと見つめてくるから、レンズの向こうの切れ長の目を探る。