冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「……どうかしましたか?」
「いや。頼もしいなって思って。可愛くて強いなんて、私の恋人は最高だな」
「……そういうの、もういいですから」
昨日のやりとりが思い出されて、勝手に頬が熱くなって来る。
「恥ずかしいのか? 日本語だし誰にもわからない」
「もしかして、課長、本当はそういうこと平気で言えるタイプだった?」
無表情に冷たい眼差し。余計な言葉は発しない。そんな人に見えていた本当の姿は全然違うものだったの?
「そんなことはないな。こんなセリフ、これまでの人生で口にしたことないよ。麻子にだけ特別」
長くて綺麗な指が口元に伸びて触れる。その瞬間肩をすくめる。
「君は特別だって言ってるだろ?」
そう言いながら麻子の口元についたソースを指で拭う。その仕草にたまらなくドキドキとする。仕草、指の動き、何もかもが色っぽく見えて、恥ずかしくなる。
とは言いつつ、ドキドキしながらも皿を綺麗にして食べ終えたのは言うまでもない。
それから、コタ地区と呼ばれるところに足を伸ばした。
オランダ統治時代の街並みが色濃く残る歴史ある街。独特の建築様式の建物が並ぶ石畳の道を歩くだけで楽しい。ヨーロッパの街並みに通じるものがある。雰囲気満点だ。
九条が麻子の手を自分の腕に回す。腕を組んで異国の地で肩寄せ歩く。この人が恋人なんだと、何度も何度も実感できる。
歴史を感じさせる運河や橋、南国特有の熱気と開放感。日本にいた時の九条との距離感を次第に忘れてしまう。気づけば自分から九条の肩に頭をもたれさせていた。
「疲れた?」
「ううん。楽しくて幸せです」
橋から運河を眺める。時間の経過が空を変化させていく様を見つめていた。
「幸せで、ずっとくっついていたくなる」
「……いいよ」
そう囁くと、九条が麻子の腰を抱き寄せた。
「君がしたいようにすればいい」
「そんなこと言っちゃって、大丈夫?」
「ああ。全然問題ない」
黒いシャツの胸に顔を押し付ける。
「観光客も地元の人も、さっきからひっきりなしに通ってますけど……」
「いいよ。誰に見られたって構わない。ここは日本から遠く離れた場所だ」
風で揺れる髪に九条の手のひらが入り込んで、そのまま顔を上げさせられた。
「私も君に触れたくてたまらなかったから」
親指が麻子の唇をゆっくりとなぞるように触れる。その指の熱さに吐息が漏れた。
「……ほんとに君は、」
切なくしかめた綺麗な目。その眼差しが傾く。
「子供みたいに笑ったかと思えば、そんな風に男を煽るような顔もする」
どこか苦しげに言葉を吐くと、腰を掴んでいた手にぐいと力を込めた。
「苦しくなるから、それ以上私を惑わせるな」
麻子に言葉を一つも吐かせる間もなく、唇を塞がれた。