冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
翌日は、貸切バイクを手配して、九条の運転するバイクに乗った。
公共交通機関が限られているこの街ではメジャーな交通手段らしい。バイクの後ろにまたがり、その背中に捕まる。
「ここから少し郊外へ行く。しっかり捕まってろ」
まさか、九条とバイクを二人乗りする日が来るとは。ジーンズにTシャツという服装にも、バイクで二人乗りというのにも、何もかもが新鮮でワクワクする。
「気持ちいいです! サイコー!!」
高層ビルが立ち並ぶ都会を抜け出ると、景色は一変した。自然溢れる昔ながらの家々。アジアの国と言えば、この景色の方を思い浮かべるかもしれない。
舗装が行き届いていない道路をかっ飛ばした。
「……ここって……」
「そう、今度のプロジェクトの現場だよ」
山々に囲まれた広大な平地を臨む高台。そこで九条がバイクを停めた。
「ここに大きなプラントが出来る。エネルギー政策の大転換が生まれる場所だ」
そう口にした九条の横顔を見つめる。
「環境を破壊しない、エネルギーの概念を変える。この先の未来を、希望あるものに変える一つになる。そんなプロジェクトだ」
広大な土地を見渡す九条の眼差しは、先の先を見据えていた。
「自社の利益だけじゃない。未来のためになる仕事なんですよね」
プロジェクトメンバーが初めて集められた日、九条が言っていた。
これまで、仕事にやりがいまでを求めることはなかった。一定の収入を得られれば、それで十分だと思っていた。
「だからこそ、このプロジェクトは何があっても成功させたい」
九条の視線が麻子に移る。
「麻子と一緒に成功させたいんだ」
「拓也さん……」
その言葉が深く重く胸に入り込む。
「自分の出来る限りのことをして、私が待ってるものもの全部使って、全力で頑張ります」
九条の役に立てるなら、これほど嬉しいことはない。九条と共に大きな仕事をやり遂げられたら。考えるだけで夢みたいだ。
「期待してるよ。君の能力は私が保証する。必ずいつか、君は正当な評価を得られる人間だ」
その眼差しは、恋人のものでもあり、そして上司のものであった。
プロジェクトの現場から、ホテルのあるジャカルタの中心地に戻って来るなり九条が言った。
「最後の夕食くらいは、ちょっといいレストランに行こうか」
定食屋や屋台の料理でも十分美味しかったし、むしろ楽しかった。
「私、庶民的な料理、好きですよ?」
「それはもう十分堪能した。最後の夜くらいは豪華にと思って、予約してあるんだ。せっかくだし着飾って行こうか」
「着飾るって、ドレスコードがあるんですか? 私が持って来たので大丈夫かな……」
ワンピースは念の為に持ってきた。でも、九条が予約したレストランのドレスコードがどのレベルなのか不安になる。
「もちろん君が持ってるワンピースでもいいんだけど。せっかくの旅先だ。この際、目一杯着飾って行くのもいいだろう? 私に用意させてくれないか?」
「え?」
九条が麻子の肩に手を置いた。
「私が君を着飾りたいんだ。それに付き合ってくれる?」
そんな風に言われたら断れるはずもない。