冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
通勤途中の電車で、スマホのディスプレイを確認する。画面には時刻と日付、曜日だけが表示されていた。昨晩、恋人である里村祐介にメッセージを送ってあったのに、その返信はない。
既読にすらなっていない。仕事、そんなに大変なのかな――。
何かメッセージをと思ったが、返信もないのに新たに送信しても煩わしいだけだろう。激務で睡眠不足なのかもしれない。そう思ってスマホをバッグの中にしまった。
祐介とは付き合い始めてそろそろ一年が経つ。フィリピンから戻って来て、東京《こっち》での仕事がようやく落ち着いて来た頃だった。仕事帰り、駅でばったり会った。
『中野だよな? めちゃくちゃ変わったな。最初わかんなかったよ』
麻子の記憶にある祐介より少し饒舌だった。大学の同級生で、ゼミも一緒だった。ただ、大学時代の麻子にプライベートな時間はほとんどなく、恋人はおろか友人と遊ぶ時間すらなかった。そのせいで、祐介とは本当に顔見知りという程度の関係だった。
『いやー、マジで変わったよ』
変わった変わったと、そればかりを繰り返した後、時間があるなら場所を変えないかと誘われ、断る理由もなく二人で駅近くの居酒屋に入った。
お互いの仕事や近況を話していたら意外にも会話は尽きず、楽しい時間を過ごせた。
それから、何回か誘われて食事をしたりした後、祐介の方から『付き合って欲しい』と申し出てきた。
市役所に勤務している祐介とは、金銭感覚も合う。穏やかで真面目な人柄に安心できた。
恋愛もしないままで25歳を過ぎていた。この人となら付き合ってみてもいいかもしれないと、その交際の申し込みを受けることにしたのだ。
『麻子、バリバリ働いてて本当にかっこいい。ずっと努力し続けてるのも同じ社会人として刺激になるよ』
眩しそうに麻子を見つめながら祐介が言った。
自分の身の上から一生一人で生きていくものと思っていたが、まだ結婚を考える年齢でもない。軽い気持ちで付き合い初めたけれど、祐介とは穏やかで居心地のいい関係を続けられている。心から祐介のことを信頼していた。