冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
麻子は自分の気持ちを打ち明けた後も、表情一つ変えずにいつも通りに仕事をこなしていた。それはこちらに気を使わせないための彼女の気遣いだとわかる。
そんな姿を見れば見るほど、今後のためにも上司であり続けなければならないと思えば思うほど、想いが募っていくのが不都合極まりなかった。
仕事にプライベートを持ち込む。そう誤解されるのも避けなければならない。それが麻子を守ることにもなるのだ。
そうするべきだと言い聞かせ、そうできていると思っていたのに。
ブライトン社の接待の席で、麻子がブライトンの常務に触られているのを見たら、自分を抑えられなくなった。表情を恐怖で引き攣らせ真っ青になりながら、必死に耐えている姿を見たらもうだめだった。
大事な接待の席だと言うのに、感情的な行動をとった。
「ブライトン社は大切なビジネス相手ですよね? この契約が今後の大きなプロジェクトにも繋がるものだと聞いています」
麻子の言うとおりだ。次に控えているインドネシアとのビッグプロジェクトの布石になる大事な契約。
「ここで失敗なんかしたら、課長はどうなりますか?」
必死に訴える麻子の言葉に、何度も何度も頭の中で繰り返して来たフレーズが消えていきそうになる。
“上司でいろ。彼女を成長させる、上司に“
それが一番なのだ。
「私のためか?」
俺のために耐えたのか――?
感情が激しく揺さぶられてどうにもならなくなる。
「君が、あんな風に触れられるのが耐えられなかった」
やめておけともう一人の自分が警告しているのに、感情的な言葉を放ってしまっていた。
「忘れようと必死で、なのに、そんなこと言われたら、もっと忘れられなくなるじゃないですか」
顔を歪めて苦しそうに言葉を吐く麻子を見ていたら、もうだめだった。
「忘れられないです」
そう言った麻子を抱きしめていた。
初めて出会った日から、こうなることだけは避けてきた。誰にも知られてはならない関係など、結ばない方がいい。
これから先、もしこの関係が明るみに出たら、麻子は色眼鏡で見られる。女を武器にしたとも言われかねない。自分が何か言われるのはいい。麻子が苦しむのは耐えられない。
だからこそ、突き放したのに。
「私は、誰かを幸せにできるような男ではない。君が見たままの冷たい男だ」
抱きしめておいて、そんな陳腐な言葉を吐くどうしようもない男。
愛なんてものも優しさなんて感情も、何も持ち合わせていないくせに。
誰かを大切にする術も知らない。
それを一番自分がわかっているのに、一体どうしようと言うのだ。
「君のことは、部下以上の存在にしたくなかったのに」
わかっているのにそうできなかった。
誰に対する足掻きか。
正論も理性も、選ぶべき正解も、何もかもがどこかへ行って、彼女をこの腕の中に引き入れてしまった。