冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「……同じプロジェクト内に恋愛沙汰持ち込まれると、周りの人間はやり辛くてしょうがないよな」
秋元がため息を吐く。プロジェクトメンバーが集まった会議室の空気は、針の筵のようだった。
「――皆さん、集まっているようですね。では早速ミーティングを始めます」
ぴんと伸びた姿勢で九条が現れ、会議室前方に立った。
「その前に、一つ質問させてください」
坂口が口を開く。
「何ですか?」
坂口が何を言い出すのか。手のひらから嫌な汗が滲み出て来る。
「今、ここにいるメンバーは皆、寝る間も惜しんでこのプロジェクトに掛けているんです。真剣に取り組んでいるんです。ですから、課長も真剣に答えてください。中野さんとはお付き合いされているんですか? もしそうなら、これまでと同じモチベーションで仕事なんてできません」
九条がレンズの奥の目をより一層冷たいものにして、坂口に視線を向けた。
「そんな事実はないと言ったはずですが? ないものはないとしか言いようがない。私にそれ以上何と言って欲しいのですか?」
抑揚のない冷めた声。
「でも、中野さんのお宅で課長と会ったと言っていました」
「それも中野さんの親族の勘違いだ」
「二人揃って、勘違いって……そんな弁明が通るとでも? 真剣に答えてください」
「いたって真剣に答えていますが?」
ヒートアップする坂口に、九条が蔑むようにため息を吐いた。
「中野さんのプライベートに巻き込まれて、正直私も迷惑しています。こんな風に貴重な仕事の時間を奪われている。坂口さんも、これ以上大事な時間を奪うのをやめてくれないか?」
心底嫌そうに目を歪める九条の表情が、既に痛めつけられていた胸を突き刺した。
「迷惑って……」
九条の冷酷な言葉に、流石に坂口も言葉が出ないのか、それに続く言葉はない。
「真実はどうであれ、こんな風に噂になったってことは事実なんだ。ざわつかないはずがない。俺はどーでもいいんで、仕事は仕事でちゃんとしてもらっていいですか? 自分の女にポストやったり、婚約者がいるのに部下に手を出したり。そんな課長だったなんて、失望したくないんで」
秋元が椅子に背を投げ出すように座って九条を見上げていた。
課長にあんな態度を取るなんて……。
これまででは考えられない。
こんな風に九条を貶めたのは、全部私のせいだ……。
「本当に申し訳ございません!」
居ても立ってもいられなくなって、考える前に立ち上がっていた。
「すべては、私の親族が突然現れてあんな場所で騒いだせいなんです。プロジェクトが大変な時に、皆さんには本当にご迷惑をおかけしました。この通り、お詫びします」
深く腰を折り頭を下げる。
「これ以上、仕事と関係ないことで時間を取られたくないんだが。もう、仕事に戻らせてもらえないか?」
前方から冷たく刺すような九条の声がした。
「……本当にすみません」
身体中から力が抜けるようにすとんと座る。
他のメンバーたちも、仕方がないというように資料に目を移し始めた。
こういうことだったのだ。
恋人関係だったとき、九条が頑なに付き合っていることを秘密にするようにと言っていた理由。
直属の部下と上司だ。九条は同じプロジェクトに所属している上司で人事権も持っている。
“君のことは、部下以上の存在にはしたくなかったのに“
九条と特別な関係になった日。九条はそう口にした。
結局、九条を困らせる存在でしかなかった。二人でいた時も離れてからも、ただ迷惑をかけただけだ。
課長、本当にごめんなさい。
好きだなんて言って、本当にごめんなさい――。
資料を手にしながら、心の中で詫び続けた。