冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
九条が冷たく言い放ったおかげで、同僚が少なくとも表立ってその話題には触れなくなってすぐのことだった。
「ちょっと話したいことがあるんだけど。付き合ってもらえる?」
そう麻子を呼び出したのは、法務部の女子社員たちだった。法務部は河北すみれが所属する部署だ。
「――お話ってなんですか?」
職場近くにある場違いなほど明るいカフェで、なぜか怒りをあらわにした女子社員二人と向き合う。
彼女たちについて、法務部所属ということ以外に知らない。ほとんど初対面のようなものだ。
「河北さんのことです。彼女、今、とても傷ついています」
そう一人が話し出すと、今度はもう一人が口を開いた。
「すみれさん、九条さんとあなたに裏切られてとても辛い思いをしているのに、中野さんのことは許すって言ってるんです。そんな優しい人を傷つけて、どうしてあなたはそんな風に堂々と出社していられるの?」
「……河北さんがそうおっしゃってるんですか?」
一体、すみれは何を考えているのか。
「すみれさんを問いただしてみたら、少しずつ事情を話してくれて。すみれさんの話では、中野さんが一方的に九条さんに迫ったって言うじゃない。九条さんは部下であるあなたを無碍にはあしらえなかった。全部あなたのしたことなのよね?」
すみれがそんな風に同僚に話をしている。
何の意図なのだ。
「それなのに、すみれさんはあなたが理解できるって泣くのよ。中野さんが九条さんに想いを募らせて、どうしても見ているだけではいられなくなったんじゃないかって。辛いけど、中野さんの気落ちは同じ女性として理解できるって。自分だって辛いのに、あなたの立場にも立てるなんて。本当にお人好しなくらいよ」
目の前の女性とすみれがどの程度の関係なのかは知らないが、我が事のように悔しそうに唇を歪めている。
「私は、そんな人、許す必要ないって言ったのに」
最後に言葉を交わした時のすみれの笑みが蘇る。
「いくら好きだからって、人のものを取るなんて一番しちゃいけないことなんじゃないの?」
これがすみれの報復なのか。
そんなことを社員に告げて、こうして攻撃させることが。
「誰が何と言おうと、私は何も恥ずべきことはしていません。河北さんを裏切るようなこともしていません。これ以上、ありもしないお話に付き合う義理はありません。失礼します」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
これ以上何を話すことがあるというのか。震える唇を強く引き締め、カフェを出た。
そろそろ春が訪れる気配が強い風の中にも感じられるのに、心の中は虚しさと怒りでどうにかなりそうだ。
でも、それは全て、自分の身内が起こしたことのせいだ。彼女たちもすみれも、責める資格はない。